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「土木事業者・吉田寅松」㉗ 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略

掲載号:2021年7月8日号

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フランスから帰国した渋沢篤大夫の美挙

 明治二十三年八月一日、日光遊覧者への便を開いた日光鉄道の開通式が日光駅でおこなわれた。日光鉄道の開業には、日光鉄道会社創立委員長の渋沢栄一のはたらきかけが大きく貢献した。

 小松宮彰仁親王殿下も臨場し、祝辞を賜った盛大な式典には、吉田寅松はもちろん、渋沢栄一も参列したと思われる。

 渋沢栄一は、「京浜工業地帯の生みの親」と称される浅野総一郎が官営深川セメント工場の払い下げを受けるとき、「浅野は三井や三菱のように名のあるものではないが、大変な勉強家で、昼夜の区別なくよく働きとおすだろうから、セメント工場も盛大になることを保証する」と、所管官庁にはたらきかけて浅野セメント会社(現在の日本セメント株式会社)の創業も導いていた。

 また浅野総一郎が川崎・鶴見地先の遠浅の海岸を埋め立てて、港湾整備と臨海工業地帯を造成する大事業を計画したときも、安田善次郎とともに理解を示し、資金提供をして国家的大事業を援助した。

 渋沢栄一が生涯を通じて信条としていた「皆が豊かになれる社会を築く」の精神は、藍玉の番付表などでも広く知られているところであるが、『新聞集成明治編年史』第一巻にもその人となりが伝わる記事「渋沢菱大夫〔篤大夫の誤り〕の美挙 仏国より帰朝 四万両を難渋者へ施与」があった。

 徳川十五代将軍徳川慶喜は、弟の徳川昭武を名代として一八六三年(慶応三年)に開催された第二回パリ万国博覧会へ使節団を派遣した。

 徳川慶喜に仕えて渋沢篤大夫と名乗っていた渋沢栄一も昭武の随行員として参加した。滞在中に大政奉還がおこなわれ、鳥羽伏見の戦いなどで徳川家からの送金も途絶え、滞在費にもことかく状態だった。

 ―渋沢は持ち前の才覚で工面し、万博終了後は出展品の売買などで得た二万両を貯金した。また現地で買い求めた反物や売れ残った器物は持ち帰った。これらはわずかばかりであったが、横浜で売り払ったところ、その代金が二万両になった。合計四万両は、静岡で謹慎中の徳川慶喜のもとに持参し、駿州一円の難渋人へ分配した。自分は一銭も身につけず、マフラー一枚で精勤しているとのこと。これ誠に忠節の精神以外の何物でもないというべし。―〔明治二年七月十五日 明治新聞〕

 渋沢栄一の才覚と「私利を追わず公益を図る」の精神と社会福祉、そして失意の中にいた徳川慶喜への忠義心の一端を知ることができる記事だった。
 

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