「土木事業者・吉田寅松」39 鶴見の歴史よもやま話 鶴見出身・東洋のレセップス!? 文 鶴見歴史の会 齋藤美枝 ※文中敬称略
困難をきわめた奥羽線建設工事却下された山形県有志の悲願
上野駅を起点とする日本鉄道会社の奥州線(現在のJR東北本線・始発駅は東京駅)は、明治二十四年九月一日に青森駅までの全線が開通した。
奥州線が終着駅の盛岡駅に向かって福島県や宮城県など東北各地で順次鉄道建設工事がすすめられていた明治十八年、山形地方の有志が資本金三百八十余万円で日本鉄道奥州線の支線として、福島・酒田間の鉄道建設を出願した。しかし、明治政府には太平洋側と日本海側を隔てる東北の脊梁奥羽山脈を越えての鉄道建設計画などはまだなかったため、線路調査未定として却下された。
明治二十年、山形県の有志と東京の資産家たちが資本金二百万円を集め、日本鉄道奥州線白石駅から羽州街道に沿って赤湯、山形を経て大石田に至る約百十二キロの鉄道敷設計画を立て請願した。しかし、政府から白石・赤湯間の工事は困難を極め、二百万円の予算では建設できないとして経路変更を命じられた。
政府のすすめにしたがい、工事しやすい、よりゆるやかな低地のおおい福島駅から米沢、赤湯、山形、新庄を経て酒田に至る経路に変更して改めて出願した。明治二十年九月に認可され、仮免許が下りたが、指定期間内に手続きが完了しなかったため、この計画も断念せざるをえなかった。
明治二十三年に福島、山形、秋田県の有志がそれぞれに郡山または白河から若松に至る線、米沢から坂田に至る線、新庄から青森に至る線を出願したが、鉄道局はいずれの線も営業路線としては経営が成り立たないとして許可せず、「三県が合同して福島から山形、秋田を経て青森に至る三百余マイルの鉄道を建設すれば、建築費は約千二百万円もかかるが、営業路線として有望である」と示唆した。しかし、三県合同の民間鉄道計画も成り立たなかった。
国営で奥羽本線建設
明治二十五年六月、「鉄道はすべて国営で行うべき」という鉄道局長官井上勝の提唱により、鉄道敷設法が公布された。その第一期の工事の中に、福島から米沢、山形、秋田を経て、青森県の弘前、青森に至る奥羽本線の建設計画も組み込まれた。八月から十二月にかけて全線の測量が行われ、翌年の国会で千二百二十万円余の予算が付き、明治二十六年から明治三十七年までの十二か年継続の鉄道庁の事業として可決された。
奥羽山脈を越えて日本海側の最上川、雄物川、米代川、岩木川の豊沃な四大河川の流域を縫って走る東北地方の運輸交通の大動脈となる奥羽本線が建設されることになった。しかし、峻険な山を切り開き、深い峡谷に鉄路を敷設する工事は、豪雪にも阻まれ難航することが予想された。福島駅から青森駅に至る奥羽本線は、湯沢を中心として南北二線に分け、福島・湯沢間は奥羽南線、湯沢・青森間を奥羽北線として工事をすすめることになった。
物騒な入札風景
奥羽線の建設工事は、入札による請負事業とし、杉井組、橋本店、久米組、鹿島組、吉田組、太田組、佐藤工業、大倉組、大阪土木などが落札し、それぞれの工区を請け負った。
請負業者になるための入札競争は熾烈で、互いにしのぎを削っていた。入札現場には、入札を妨害しようとする刃物やピストルを持った金筋入りの渡り者(ギャングと呼ばれていた)たちが我が物顔に振舞っていた。請負業者やその代理人(代人)たちを脅迫、監禁したり、作業現場に潜り込んできて秩序を乱す者もいた。彼らは、吉田組などの請負業者に正式に雇われている職人とは異なり、額に汗して真面目に働こうとはしなかった。
腕ずくで仕事を取ろうとする請負業者もいた。ギャングたちを巧みに陰で操縦している者もいた。入札当日には、夜が明けるやいなや荒くれ者たちが大勢集って来て、要所要所に網を張り、入札人を待ち伏せして強請、誘拐、監禁、暴行などあらゆる手段を使って入札を妨害した。不法行為が横行するなか、入札者たちはギャングたちの裏をかき、未明に入札所に行き、窓下などの物陰に身をひそめて入札時間を待ち、入札をすませると一目散に逃げ帰るようなことも多かった。
当時も談合のようなものが行われていたが、談合金の授受分配ということはまだなかった。そのかわり関係者一同をそれなりの料亭に招待して大判振舞をしなければならなかった。吉田組における寅松の代人として吉田組幹部中の双璧と称された中山慶助と後藤傳五郎が、それぞれ子飼いの作業員を抱えて、奥羽北線、南線の各現場を采配し、同業者たちとの間も調整していた。中山の配下には、代人や作業員たちの間で一目おかれ尊敬されている熊谷という肝っ玉の太い、精悍無双の男がいた。熊谷が中山の代人として入札をするため秋田の旅館に泊まっていたとき、それを嗅ぎつけたギャングたちが押しかけ、熊谷を取りかこみさかんに脅迫した。初めは穏やかに応対していた熊谷も、彼らのあまりの傍若無人、執拗さに堪忍袋の緒を切り、目の前にあった炭が赤々と燃えさかる火鉢を抱えあげ、ギャングたちの群れへ投げつけた。これにはさすがのギャングたちも度肝を抜かれて、急におとなしくなったという。
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