政府は3日、2020年秋の褒章受章者を発表した。商工業などで模範となる業績を残した人に贈られる黄綬褒章を受章した塗装業の長谷川秀樹さん(60)=神奈川本町=、理容師の宇佐美勉さん(72)=片倉=の2人に喜びの声を聞いた。
急逝の父継ぎ40年
長谷川さんは学生時代、急逝した父親を継ぎ弱冠20歳で長谷川塗装工業所=神奈川本町=の3代目に就任。以来40年にわたり、塗装一筋に歩んできた。
公共施設や工場を中心に、新国立競技場や世界遺産の富岡製糸場、明治政府の外交官・内田定槌の邸宅として1910年に建てられた「外交官の家(旧内田家住宅)」=中区山手町=、本覚寺=高島台=など、有名建築物の塗装も数多く手掛けてきた。「名誉ある工事を任せてもらえたのも、基本を大切にしながら仕事に向き合ってきたおかげ」。父が貫いてきた流儀を、実直に受け継いできたからこそ今がある。
所属する日本塗装工業会神奈川県支部では、養護施設での塗装ボランティアを継続。支部の設立60周年事業として小田原少年院で塗装技術を指導した際は、ビニールシートを丁寧に畳む院生の姿に感銘を受けた。「道具の管理は仕事の基本。『君たちが社会に出たとき、きっと役に立つ』と話したことを今でも良く覚えています」。
13人の社員を抱える会社を陰で支えるのは、高校時代の同級生だった妻の礼子さん。「仕事のことも家庭のことも頼りっきりです」。35年間を共に歩んだ糟糠の妻と、受章の喜びを分かち合う。
美の追求、今も
宇佐美さんは、理容業界に変革の風を吹き込んできた1人だ。
横浜商業高校別科の理容科を卒業後、修業を経て28歳で独立。片倉で開業したメンズビューティーウサミは、当時は珍しかった女性のカットもできる店として注目を浴びた。制服は、定番の白衣ではなくジーパンに白シャツ、細い黒ネクタイといういでたち。「お客様を美しくするためには、自分の身だしなみにも気を使わないと」。常に最新のトレンドを取り入れながら、自らの美意識を追求してきた。
卓越した技術の根底にあるのは、10代の頃から参加を続けてきた理容コンテストでの経験だ。初挑戦から3年連続で地区大会の最下位に沈んだが、仕事の合間を縫って日夜練習を続け、いつしか全国大会で上位入賞の常連になった。「身に付いたのは技術だけでなく、自己管理や先を見据える力。目標を立ててトレーニングをすることが、何より大切なんだ」。そんな信念は、店で受け入れる弟子に連綿と受け継がれている。
受章を知った常連客や近隣住民から相次いで寄せられる祝いの花と電話に目を丸くする。「地域の方々に愛され、支えていただいていたことが何よりの誇りです」。技と心を磨き続けたその先にあるマイスターの道を、今も歩み続ける。
藍綬 防犯、消防で功績
岡田孝さん(84)=旭ケ丘=は、多年にわたり神奈川区防犯協会での活動を続けたとして藍(らん)綬褒章を受章。5日に神奈川警察署で授章式があり、日下部裕也署長から褒章を受け取った。
岡田さんは1966年頃から防犯活動に取り組み、「当時は片倉地区で窃盗が多く、防犯課(現・生活安全課)のお巡りさんと一緒に徒歩でパトロールをしたものです」と懐かしむ。
「(受章は)周囲の協力のおかげ。皆さんからいただいたようなものです」と感謝する岡田さんを、日下部署長は「肌で感じられるような体感治安の向上を目指し、私たちもしっかりと活動していきます」とたたえた。
加藤清治さん(70)=白幡東町=は、40年間の消防団活動を通して地域防災力の強化に力を注いできた。
自宅近くで住宅火災が発生した際は、いち早く初期消火にあたり被害の拡大を防いだ。消防団で長年培った技術が、いざというときの冷静な行動につながっている。
「正直私なんかでいいのかと恐れ多いが、こんな機会をいただけて大変うれしい」と、藍綬褒章の栄誉に声を弾ませた。
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