被災地派遣高津消防署員 「できることがきっとある」 第1・3次援助隊として12人が仙台へ
川崎市の緊急消防援助隊の第1次と第3次に派遣された高津消防署の中野健太郎、小嶋昭仁、拜原(はいばら)宜弥消防士長に、被災地での活動の様子を聞いた。余震が続く中での捜索活動は想像以上に深刻なものだったというが、生存者3人の救出搬送に貢献した。
東日本大震災に伴い、川崎市消防局は総務省消防局から神奈川県緊急消防援助部隊の派遣要請を受けた。第1次派遣の川崎隊32人は先月12日、津波の被害を受けた宮城県仙台市へ向かった。任務は第2、第3次派遣へと引き継がれ、川崎の消防士たちが被災地の捜索や支援活動を行った。
中野さん、拜原さんらが第1次派遣の要請を受けたのは11日夕方。深夜に出発し、16時間かけて仙台市入り。翌日若林地区の現場へと向かった。瓦礫の山と、水浸しの荒野を目の当たりにし「これは大変なことだと思った」と語る。
活動初日、「屋根の上に生存者3人」という情報が入り宮前区の部隊が救出。高津区の部隊が引き継ぎ、3人を搬送した。その後は倒壊建物に入り、声掛けをしながら生存確認を行う人海戦術。度重なる余震と津波警報で作業が中断されながらも、強い気持ちで任務を続けた。「手作業でどれほどの人を助けられるのか、と人ひとりの力に空しさを感じることもあったが、自分たちにしかできないことがきっとあると信じて活動した」と中野さん。
小嶋さんらが要請を受けた第3次派遣隊も同地区での任務だった。膝まで水に浸かりながら瓦礫を剥がし、車中を覗き込んでの生存者捜索。捜索が終了した印として車1台、建物1軒にガムテープで×をつけていく気の遠くなる作業を繰り返した。「目の前の与えられた任務を全うする、それのみでした」。
高津署では第1次隊で5人、3次隊で7人が派遣された。福島第一原子力発電所へも派遣され、高津署の2人を含む川崎隊が3号機への放水活動を行った。
現地任務を終えた3人によれば、「日頃から3日分の食料と水、防寒具、底の厚い靴を用意しているといざという時に役立つ。家族間で集合場所を決めておくのも良い」。そして「正確な情報をつかみ、各々が納得できる行動をとることが大事」とのことだった。
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4月19日