高津物語 連載第八七七回 「佐藤惣之助の新しさ」
佐藤惣之助は、戦前戦中の流行歌作家で有名だ。その胸の内を聞いた事も無かったが、手元の郷土雑誌『あけぼの』昭和九年鎖夏号で、惣之助が書いた文章の凄さに驚歎させられた。以下… 「小説や戯曲のクダラナサは(殊に日本で)特別なる事情があるかも知れないが與一、利一数ある新人でも端的に満足させてくれない。そこへ行くと未だ詩壇には多少の危険があって、チョイチョイ不思議なものを見せてくれる。冬衛・久七その他死んだ宮沢賢治なぞ」の、(宮沢賢治を日本で最初に評価した人が、惣之助だとは意外に知られていない。文章を続ける)・
「絵画も今は私を驚かして呉れない。曾てゴヤ、ドラクロア、テイントレット、マンテーニャ、ゴッホ、ピカソ、ルオーの様に、それで足りない生理的な凄気の図を求めるとなると音楽へ行くより方法がない。処が音楽なるものの、その最下流に流行歌というものがあって、これに言葉をもる。恐らく稚拙なる現象である。
御馳走に糞をもってするものである。が更に特殊現象て一生計として之に言葉を盛り流行歌詞作家として行かねばならぬとすると私はいつも飽歎の情を感ずる。飽歎こんな心理があるとして、所謂大衆物より更に以下の、更に物凄い歌詞なるものが、詩であるかはないかは解っている。それは単に文句である。この文句を造る職人は町の詩人として存在することは昭和日本の一機関である。この一奇観が私の臂を舐めていればよいのであるから、アバンチュールな点はこの上もない。よって私の詩作と、私の文句製作とは異なる。 然しそれを二元に見ようとするのではない。私は糞の中で月球を掬う。何もかも鼬ごっこだ。小説戯曲のクダラナサと同じものだ。(中略)この嫌気・矛盾・混成、ドストエフスキーの「悪霊」の中のものが、私を泥の悪魔にしたり、或は亦ニーチエの潔癖の鬼にしてくれるのだ。私はねばり頑張っている。
そして事実、一方この文化の懸崖にあって、ナチスの様に、或はルンバ音楽の様に、私は今日の詩をして我々の一点鍾としたいのだ私は飽きもせず詩を書く。草原で虎が草を喰う様に」
|
|
GO!GO!!フロンターレ4月19日 |
|
GO!GO!!フロンターレ4月12日 |
|
|
<PR>
4月19日