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高津区 コラム

公開日:2019.09.06

郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる
まちのこぼれ話
第4話 その3 宮田  義彰さん

◆新作は戦死者がとても少なかった



 戦時中は上下関係が厳しかったです。先輩には挙手の礼!これができなくて殴られたことがありましたよ。後日お返しはしたんですけどね(笑)。



 学校の入り口脇にはご真影と教育勅語を納めた奉安殿が設置されていて、登校したらまず最敬礼です。二宮尊徳の像もありましたね。



 戦時には徴用工といってね、強制労働にかりだされたんです。軍需工場で働くとかね。それで日本工学の地下工場を作るための穴掘りをやりました。地下工場ですよ。大変なことでした。結局終戦までには出来上がりませんでしたね。



 新作はね、戦死者がとても少なかったです。橘村のうちで、焼夷弾も爆弾も落とされなかったのは新作だけなんです。



◆不発弾や戦闘機グラマンの墜落



 現在、新作のバス停がある辺りに爆弾の不発団弾が落ちていたことがありましたが、62部隊が来て処理していきました。



 小学校高等部の時、勤労動員で働いていた東中製作所から帰ってきたら、敵のグラマンが墜落していたんです。いやあ、ビックリしました。操縦士は生きていて捕虜になって、処刑されたって聞きました。私は徴兵されなかったんです。それで志願兵の試験を受けたんですがなかなか入隊できなくて、待機しているうちに終戦になっちゃった。

 

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