郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第7話 その3 石塚 卯三夫さん
◆多摩川の様子
当時の親や大人たちの暮らしぶりは【1】農業が中心(小作人)【2】多摩川の河原の砂利採掘【3】河川の工事関係など生活の基盤は多摩川でした。昔の多摩川がいかに美しかったかは、子ども心にも自慢したいほどでした。久地の梅林のお花見から、夏の鮎漁、二子玉川の花火は三尺玉の大きなのが上がり驚きました。屋形船で遊ぶ都会人を見て羨ましくも思いました。水がとっても綺麗で、鮎、やまべ、はや、なまず、うなぎ、せいぞう等、この地ではこのように呼んでいました。この美しい景色に作詞家、小説家も移り住んできました。多摩川の砂利舟は有名で、兵庫島の手前から久地の河原では質の良い砂利が取れ、その砂利を下流の小向(川崎)まで二人から三人の船頭さんで急流を漕いでいきました。一番の難所は二子橋の下と父は言っていました。
◆当時の食事
食パンにジャムを塗ったのが1枚10銭で、揚げたてのコロッケも食べるのが嬉しくて。多摩川で「まるた」という魚が獲れましたが小骨が多くて食べにくかったです。そのため、母親が、細かく切って煮てくれたのを覚えています。食べ物は、畑でとれる野菜と川の魚が主で、肉類は家で飼っていたウサギや鶏は時々食べました。台所には、藁と土で固めて作ったその家なりのかまどがありました。落ち葉や薪集めは子どもの仕事で、川の流木の乾燥もしました。
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