郷土史には記録されない、たかつの記憶をたどる まちのこぼれ話 第15話 その2 境野 勝之さん
◆溝口の変遷
溝口駅前は、大山街道とは違った雰囲気ですし、地元民というより、転居人が多く住んでます。土地を買って、家や店を建てた人たちの集まりとでも言いましょうか。現在、1代目から2代目の世代交代が進んでいます。
昔の駅周辺の地図も見ての通り、道は変わっていないのですが、美味しかった今川焼屋やパン屋の「多摩食」、図書館なども皆、無くなってしまいました。
そして20年前の1997年9月に「溝口ノクティプラザ」が建ちました。2007年の2月に溝口西口商店街の8店舗が焼失しましたが、小さな火災は以前にもありました。
子どもの頃の南武線の線路には、汽車が煙を吐きながら走ってましたよ。セメント会社のセメントを運んでいたんです。汽車が通ると、我が家が揺れました(笑)。あと、大井町線のホームの脇には池がありましたね。
◆町の靴屋として50年【1】
中野工業に勤務していた父はその後、高津の映画館があった通りに古着屋を開きました。そして私が4歳の頃に、かつてあった旭ストアーに靴屋を開きました。その後、オリンピックの年の昭和39年に現在のこのポレポレ通りに引っ越しました。昭和33年に父がここの土地を買っていたのです。ここに、住居兼用の2階建で靴屋をオープンしました。
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