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中原区 社会

公開日:2022.03.11

東日本大震災11年
「川崎Fとの絆」夢への糧に
菅野(かんの)朔太郎さん(22)

  • フロンターレとの11年間を語った菅野さん

  • サッカー教室での菅野さん(右)と憲剛さん©KAWASAKI FRONTALE

 東日本大震災からきょうで11年となる。岩手県陸前高田市出身の菅野朔太郎さん(22)は、震災直後から川崎フロンターレが開催するサッカー教室に参加していた。大学進学で上京してからは、クラブのグッズショップで4年間アルバイト。今春、新社会人として夢への一歩を踏み出す。



   ♢ ♢ ♢



 菅野さんは小学5年で被災。高台にある小学校から校庭に出ると下の建物が崩れる瞬間が見えた。急いでさらに高台へと避難。一緒に暮らす母と祖母とは翌日、避難所で無事に落ち合うことができたが、向かった先は知らない公民館だった。「家に帰れるものだと思っていたけど跡形もなくなっていた」。仮設住宅に移り住むまで、約5カ月を過ごした。



 Jリーグ観戦が好きなサッカー少年だった。初めてフロンターレが同市でサッカー教室を開いた小6の秋、憧れだった中村憲剛やジュニーニョらが目の前にいる光景に胸がおどった。「最後に焼肉を食べて、選手と写真を撮ったのが思い出です」。中学高校でも部活の合間をぬって参加した。



 同時に、ノートにオリジナルのユニフォームをデザインすることにもはまっていった。高1で母と祖母が立て続けに他界し親戚の家に養子に入ってからも諦めることなく美大に進学。服飾関係のデザインを学んだ。



 等々力には上京してすぐに試合観戦で訪れた。長年の思いがこみ上げ、その場でアルバイトを志願。グッズ販売だけでなく、憲剛さんの引退セレモニーに登壇したことや3・11の街頭募金を行ったことも思い出深い。「震災後多くの方々に助けられたが次第に疎遠になった。そんな中、フロンターレは変わらず来てくれた。少しでも関われたことがうれしい」



 春からは会社員として住宅の壁紙デザインに携わる。「たくさん吸収して、いつかはサッカーチームのユニフォームデザインに携わりたい」

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