柿生文化を読む シリーズ「鶴見川流域の中世」県下最古の板碑〜寛元二年銘板碑等と御家人鴨志田氏について〜【1】文:中西望介(戦国史研究会会員・都筑橘樹研究会員)
横浜市青葉区鴨志田町字念仏堂の集合墓地に所在する寛元二年(1244)銘板碑は、神奈川県下で最古の板碑である。この板碑は埼玉県秩父地方に産する緑泥石片岩製の武蔵型板碑の中でもごく古いものである。また、同墓地には建長七年(1255)銘板碑をはじめ多くの板碑が存在する事も見逃せない。
寛元二年銘板碑の現状は覆屋に納められて、石で造られた枡形の中に立ち周囲にはこぶし大の川原石が敷き詰められている。地上高133cm、上幅47・5cm、下幅52cm、厚さ8cm。頭部山形の下に二条線はなく羽根刻を刻み、阿弥陀種子を表すキリークが塔身部の約二分の一を占める大きさに刻まれている。蓮座は刻まれていない。塔身部右側に寛元□□、左側に□□日と紀年銘を刻む(1970年代後半に齋藤慎一氏と一緒に調査した時には寛元第二年とかすかに読めたが、風化が進んでいる)。大きさ、厚さ、主尊の塔身部に占める大きさと言いまことに申し分のない初発期板碑である。中世には寺家から鴨志田にかけて鴨志田郷と呼んでいたが、鴨志田郷の領主鴨志田氏に相応しい堂々とした供養塔婆である。 (つづく)
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