川崎で音楽活動を通して40年にわたり地域に貢献する 鳥屋尾(とやお)明盛(あきもり)さん 宮本町のナイトパブ経営者 67歳
恩返しのメロディー奏でる
○…宮本町でナイトパブを経営するかたわら、チャリティーコンサートへの出演や老人クラブでのピアノ伴奏など、「音楽のまち・かわさき」の盛り上げに貢献する。5月28日にサンピアンかわさきで行われた東日本大震災支援チャリティー「絆」コンサートでは「すきですサッポロ」や「かげろうの恋」を披露。「歌で元気を与えたい」と、老人クラブでは18曲分のお手製歌詞カードを配り、歌声に合わせ鍵盤をなぞる。
○…島根県多伎町(現・出雲市)出身。ラジオから流れる流行歌を覚えては歌い、外では野球に明け暮れる少年だった。体育教師を目指して大阪体育大学へ進学し、新聞販売所の奨学金制度を利用して、住み込みで働きながら通った。だがある日、鼻歌を聞いた仲間から「そんなに好きなら歌手になれば」という一言が。歌が好きだった自身の子ども時代が蘇る。大学を中退し、東京へと夢を追った。
○…23歳でボーカリストとしてメジャーバンドに所属して全国行脚し、30歳のときには「スコッチファイブ」のメンバーとしてレコードも出した。その経験を活かして川崎で毎日弾き語りをして店を回り、自身も店を経営するうち、人づてに話が広がった。神社の集会や婦人会、美容師組合など、様々な団体から声がかかる度「僕で良ければ」と飛んでいく。07年には区内でチャリティーコンサートを開き600人を動員。「本当にありがたいこと。川崎の人に支えられて40年やってこられた」。恩返しにと、現在40周年記念コンサートを計画している。
○…コンサートの最後に歌う曲は「おふくろさん」と決めている。上京の際、大学を中退して夢を追うことを打ち明けなかった母のことがいつも胸の中にあるからだ。実家に寄った際、手に握らされた10枚の千円札。そのくしゃくしゃとした感触と「母さんはいつでも待ってるよ」という温かい言葉は、ここ川崎の地でも片時も忘れることはない。
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4月19日
4月12日