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川崎区・幸区 人物風土記

公開日:2017.11.17

川崎市スポーツ賞を受賞した
川島 哲男さん
川崎区中島在住 81歳

一途に白球追い続ける



 ○…市内のアマチュア野球チームが所属する川崎野球協会の理事長として、大会運営などで下支えする。長年、川崎野球界の発展に尽力したことを称えられ、川崎市スポーツ賞を受賞した。「スポーツで活躍する人がたくさんいる中で選ばれたことは感激。野球界の代表として頂いたと思う」



 ○…群馬県館林市出身。三角ベースから始まった野球人生。終戦直後、近所の神社でよくプレーしていたという。穏やかな口調からは想像できないが「暴れん坊のガキ大将」だった。高校は栃木の強豪校、足利工業高校に進学し、レギュラーの座を獲得。2年生の時、秋の県大会決勝まで勝ち進んだ。当時の新聞記事は切り抜き、良い思い出として大切にしまっている。



 ○…高校卒業後、日本冶金工業に就職し川崎区へ。社内の軟式野球チームでプレーした。「高校では活躍できなかった分、会社のチームで頑張ろう」と昼休みも練習に明け暮れた。指導者の道は27歳の時。熱心な姿勢と活躍ぶりが認められ、職業訓練所に新設された野球部のコーチを打診された。教えた経験は無く不安だったが、上司の応援もあり引き受けた。2年後、生活指導も含めた専属コーチに。「もう一つの甲子園」と呼ばれる全国大会で、県代表として5回優勝に導く、輝かしい成績を収めた。



 ○…定年後は大師中野球部で17年間、子どもたちを育成。朝晩ほとんど休まず参加し、子どもから様々な相談を受けるほど頼られた。現在は還暦以上のメンバーが集まるチームでコーチとして選手を支える。身体を動かすことが好きで、市民マラソンには10回以上出場。高校時代も校内のマラソン大会で2度優勝し、陸上部の顧問からスカウトを受けたことも。「走る方に進んでいたら違ったかもしれないな」とおどける。数年前に受けた10時間に及ぶ舌がんの手術も「野球をやっていたおかげで耐えられた」と晴れ晴れしい。野球人生は、これからも続く。

 

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