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川崎区・幸区版 公開:2025年6月13日 エリアトップへ

戦後80年 戦禍の記憶【5】 麻生区白山在住 相原 多恵子さん(90) 自分だけ生き残る不安 縁故疎開も複雑な胸中

社会

公開:2025年6月13日

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当時の思いを語る相原さん
当時の思いを語る相原さん

 「『ヒュルヒュルヒュル』という焼夷弾の音と『ゴー』という爆弾の音が聞き分けられるくらい、戦争が身近になっていた」 

 国民学校(小学)4年生だった1944年の7月、東京から学童疎開先の静岡県に向かうことになる。出発する日、長いこと食べていなかったおはぎなどが入った弁当を祖母に持たされた。「私は遠足に行くような気分。でも『この子と会えるのが最後になるかもしれない』と家族がお弁当に思いを込めてくれていたことには、その時は気が付かなかった」と振り返る。

 寺で寝泊まりし、村の学校へと通う日々が始まった。教員に帰る日を聞くと「戦争が終わったら」。「帰る日が決まっていれば、その日を待って我慢できる。でも帰れる日は分からなかった」。日が暮れてくると、毎日家族のことを思い出し、涙がこぼれた。「遠足気分で来たことを後悔した」

 学校の帰り道、米軍のB29爆撃機が東京方面へ飛んでいく姿を見た。「家族が爆撃でやられて、死んでしまうのでは。自分一人だけが生き残ったら、どうしよう」。そんな不安が頭から離れず、ひどいストレスにさらされた。

 年が明けた2月頃、思いがけない知らせが届く。家族で新潟県に縁故疎開をすることになったのだ。おばが静岡まで迎えに来てくれた時は、駆け寄って、握った手を離さなかった。「こんなにうれしかったことはない」。だが、同級生らの疎開生活は続く。「友達の前で喜ぶことはしなかった。子ども心に、自粛した」。別れのあいさつもなく、寺を去った。

 東京の自宅に一旦戻り、しばらくして、わずかな荷物を持ち、新潟県へ。「見知らぬ地に向かうものの、辛かった学童疎開とは違い、家族と一緒であることの幸せを感じた」。汽車の中で、そう思ったことを記憶している。

 新潟県の農村では、空襲警報は鳴らなかった。8月15日、大人たちと一緒にラジオから流れる天皇陛下の声を聞いた。「最後は竹やりで敵兵と戦う。そう先生から教えられていた。心配で暗い気持ちだったが、戦争が終わり、ほっとした」。灯りが漏れないように電球を覆っていた布。その日の晩から外し、部屋が明るくなった。

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今年で戦後80年。体験者が年々減少し、戦争の記憶が風化しつつある。当事者の記憶を後世に残すとともに平和の意義について考える。不定期で連載。

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