航空機を一から作り、自由に空を飛ぶ―。そんな誰もが思い描いたであろう夢を、自らの手で実現させた人が区内にいる。清新在住の三浦多津治さん(74)その人だ。テレビや雑誌など数々のメディアに取り上げられている三浦さん。夢を叶えた始まりの舞台は、相模原の小さな町工場だった。
三浦さんは、金属加工一筋約60年。4人兄弟の長男で、小さい頃からものづくりが好きだった。15歳で、金属の金型を作る製造業に就職。工作関係の企業を渡り歩いて技術やノウハウを学び、26歳のころ、弟らとともに工作機械加工を行う三協製作所を立ち上げた。
ヘリコプターに憧れを抱いたのは、映画を観たことがきっかけ。「自分で作ったもので空を飛んでみたい。図面があればきっとできる」。そう決意すると、早速マニュアルや図面を取り寄せ、25〜26の頃、まずは勉強のためにヘリコプターの前身となった航空機・ジャイロコプターの製作に取りかかった。当時は教えてくれる人など誰もおらず、全てが独学。弟の手も借り、自社の町工場で5年ほどの歳月をかけて完成させた。
その後、習得した技術と大きな自信を背に、ヘリコプター製作にも着手。遠心力や回転数、強度などを緻密に計算し、一から図面を書いて設計・製作、仕事と両立させながら自分だけの航空機を作り上げた。当時を振り返り「ここまでやってできないはずはないと思った」と話すが、初めて飛んだ時には「やっぱり感動したね。自分で作ったものだしさ」。
ものづくりの意欲冷めず
1台に350万円ほど掛かるというヘリコプターの製作。現在のヘリコプターは6号機で、これまでにはないレーシングカーに使うエンジンを搭載し、回転数を一定に保つ自動ガバナーを取り付けた。初代から2号機、3号機と改良に改良を重ね、ついに自身が描く完成形に辿り着いたという。「長かったね。けど、最初から思ったものはできないものだよ。何だってそうさ」。6号機のヘリは現在、茨城県守谷市の格納庫に保管してあり、今でも利根川の河川敷で実際に操縦しているという。「今年の夏は暑かったからさ、まだ行けてないんだ。歳とともに暑さも堪えてくるからね」と目を細める三浦さん。飛行場では一緒に飛ばす仲間もいるといい、製作を通じて知り合いの輪も広がっている。
亡き夫人が支えに
とにかく何事にも自信を覗かせ、「自分にできない訳がない」という心構えで製作にあたるという三浦さん。一方、成功の裏には、2年前に亡くなった夫人の協力が欠かせなかった。「操縦を確かめる飛行テストなどは、一人でできるものじゃない。おかぁがいてくれたから実現できたんだ」。自身を最後まで支えてくれた夫人の他界を機に、今年7月で会社を畳んだ。だが、三浦さんの持つものづくりへの意欲は今も冷めることはない。「工場が無いし、もう俺も歳だからね。けど、叶うならもっともっと良い航空機を作りあげたいな」
誰もが一度は考えてはみても、実現には至らない航空機製作という夢。三浦さんが相模原の小さな町工場で叶えたその「物語」は多くのメディアで取り上げられており、今年6月にはフジテレビの番組「憲武・フミヤ・ヒロミが行く!キャンピングカー合宿2016」内でも紹介されている。
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