南橋本駅を中心に2つの大きな国道に囲まれる「みなはし」。この土地に20年以上住み続け、長年、自治会活動に携わってきた南橋本自治会の柴田文夫会長に、南橋本の今と未来について聞いた。
柴田さんが南橋本に移り住んだのはバブル崩壊後の1992年。当時は柴田さんと同じように新しくできたマンションや分譲住宅に、次々と新しい人々が移り住んでいった。移り住んでくるのは若い夫婦が多く、必然的に地区内の子どもの数も増加。当時は大型の自動車工場などが立地していたこともあり、地区のお祭りにも多くの人々が参加し、活気に溢れていたという。加えて、2005年には南橋本駅の駅舎が改装。それを記念して行われるようになった「みなはし文化祭」は今では地区を代表する催しとなっている。
ところが近年、地区内の工場が南橋本から撤退すると町は活気を失い、さらには子どもの数も減り、最近では子どもだけで祭りの神輿を担ぐのが難しくなっているという。
一時は活気を失った町だが、最近は再び町を盛り上げようと、商店会の店主たちが中心となり様々な取組みを行っている。そうした活動を知り、柴田さんは「若い人を中心に頑張ってもらって頼もしい」と笑顔を覗かせる。
柴田さんに「みなはし」の未来を聞くと「今後は、どうしても町が高齢化していくので、そのなかで住民が顔を合わせる機会を増やし、近所の輪を大切にできる地域にしていきたい」と話した。
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