かつては花街として栄えた水郷田名に唯一残る老舗割烹旅館「旭屋」をどう残すか--。6代目女将の江成深雪さんは後継者の不在とコロナ禍で休業を決断したが、この春、元ホテルマンの原健二さんに運営を託して1年振りに営業を再開した。ランチ営業を始めるなど、老舗の再建に向けて模索が始まった。
水郷田名はかつて大山街道の宿場町として多くの人で賑わった。大山詣が衰退すると、昭和初期までは歓楽街として栄え、旭屋の周辺には割烹旅館や商店が並び、芸者もいたという。
時代の流れとともに旅館や商店は次々と閉業し、旅館で残ったのは旭屋だけとなった。
横浜から江成家に女将として嫁いできた江成さんは、川や緑、歴史がある水郷田名を気に入り、旭屋を守りたいと奔走。地域の伝統を引き継ぎつつも「風干し鮎せんべい」の販売や「ダチョウ料理」の提供など新しいことにも挑戦し、老舗旅館の経営を支えてきた。
終わりにしたくない
ただ、旅館経営にとって厳しい環境が続く中、コロナ禍が追い打ちをかけた。体調を崩し、後継者も不在で、2023年に休業することを決断した。
それでも「江戸末期から続く旭屋の歴史を私の代で終わりにしたくない」と江成さん。そんな思いを強くしていた時に出会ったのが元ホテルマンの原さんだった。
最初に旭屋を訪れた時、「正直難しいと思った」と原さん。古くから続く旅館ゆえに設備が古いことに加え、多くの観光客が訪れるという土地柄ではないためだ。「でも、女将と社長が節約をしながら一生懸命守り続けてきたことに心を打たれ、後先考えずに飛び込んだ」と振り返る。
賃貸で再開実現
土地建物のオーナーである江成さんと旅館を運営する原さんが賃貸契約を結ぶことで旭屋の営業再開が実現。原さんの伝統を尊重する姿勢が契約の決め手となった。外装や内装の大幅な変更は行わず、なるべく古くからあるものを使った。「一度途絶えさせてしまったら、いくらお金を積んでも歴史は買えない。旭屋がなくなったら水郷田名の歴史も途絶えてしまう」というのが2人の共通の思いだ。
旭屋の営業再開を待ちわびる客がいたことも、江成さんが旭屋の存続に強い思いを抱いてきた理由だ。「お客様に女将にしてもらえていた。その人たちに『辞めます』なんて言えないから」
ランチも上々
再建に向けて始めたのがランチ営業だ。近くにある水族館「相模川ふれあい科学館」は土日に家族連れで賑わうが、周りに飲食店が少ないことに目を付けた。老舗旅館ならではの畳の間に客を招き、桑茶使用のうどんや、市内の卵と醤油を使ったカツ煮など地場のものを使った料理を提供した。土日は1日およそ40人が利用し、評判も上々だ。
江成さんは「ワクワクしている。自分より若い人たちに囲まれ日々驚かされている。古き良きを保ちつつ、進化した旭屋をご利用いただきたい」
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