さがみはら南区版 掲載号:2012年11月22日号
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覚えていますか?あの強い味 大野台・ゲイマーワイン思い出話

ワイナリーは1952年から2004年まで営業。剪定、刈り取り、醸造、接客など全ての業務を女性が中心となってこなしていた。閉園の理由は「創業者夫婦の他界」「従業員の高齢化」「気候の温暖化・多湿化」など。ワインは一本千円前後で販売されていた*写真提供=水澤澄江さん
ワイナリーは1952年から2004年まで営業。剪定、刈り取り、醸造、接客など全ての業務を女性が中心となってこなしていた。閉園の理由は「創業者夫婦の他界」「従業員の高齢化」「気候の温暖化・多湿化」など。ワインは一本千円前後で販売されていた*写真提供=水澤澄江さん

 ワインがまだ異国の代物であった昭和30年代。今の南区大野台にあったゲイマーぶどう園(現協同組合Sia神奈川他)では、約10ヘクタールの広大な敷地で5万本のぶどうの樹が育てられ、年間7万㍑以上のワインが製造されていた――。相模大野の酒店『マインマート相模大野店』(旧東屋(あずまや))にこのほど、当時造られた”お宝もの”のゲイマーワインが思い出と共に帰ってきた=右下写真。

 創業1938年の同店では、この”ご当地ワイン”が都内の百貨店でしか取り扱われていなかった時代、小売を行なっていた唯一の店舗だった。「辛口のゲイマーミュードーは防腐剤無添加のため、ニゴリが出やすかった。それがまた、旨みになっていたね」と、店主の座間勇さんは振り返る。同店では1980年頃から販売を開始。最盛期には月に50ケース600本近くを売っていた。しかし、ニューワールドもののワインの台頭などで、販売数は減少。90年代前半で取り扱いをやめてしまった。

 相模原にゲイマーワインの名を広めたとも言える同店。先月の終わり、当時、ワイナリーに勤務していた、元工場長・水澤澄江さん(南区古淵=人物風土記で紹介)らが、店舗を訪れた。「ヨーロッパを思わせる垣根造りのぶどう畑のこと、当時の苦労やゲイマーさん(経営者)=右上写真の人柄など思い出話に花が咲きましたよ。『ワインの出来は天候と造り手で決まる』と元気に話してくれました」。水澤さんは後日、自宅に眠っていた35年ほど前のものと推測されるワイン(カーターゼーヌ)2本と、ブランデー(VSOP)17本を、座間さんにプレゼントした。

 「貴重すぎて飲めない」と、現在、一部は店舗の飾りに。しかし「せっかくだから、みんなで楽しもうかと。ゲイマーファンが集まって、あの頃のことを語り合いたいね」。同店系列のイタリア料理店イル・ヴィネイト(【電話】042・766・1188)で、近々、このブランデーを嗜(たしな)む会を開くそうだ。
 

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