さがみはら緑区 文化
公開日:2024.06.03
大山道
町中に残る歴史をたどる
橋本は宿場で栄える
江戸時代中期に盛んになったと言われる大山詣。現在の伊勢原市にある大山への参詣のことで、当時の人々は物見遊山を兼ねて足を運んでいたと言われている。そこを目指す道である大山道(大山街道)は、大山を中心に放射状にいくつも存在した。鑓水から橋本を通る大山道については、現在もその名残を町中で感じることができる。※中面マップ参照
地域の歴史について研究する橋本の歴史を知る会(金山勝郎代表)によると、大山は奈良時代に開山されたと伝えられ、別名を雨降山(あめふりやま・あふりやま)、頂上の大山阿夫利神社は雨乞いの神を祀っている。農民が豊作を願って参詣したほか、大山は海から見ると美しい三角形の姿が良く見えると、漁民からも大漁の神として厚く信仰されていたという。
鑓水から橋本にかけては、埼玉県熊谷市を通る中山道が分岐して、大山を結ぶ道が大山道として栄えた。甲州街道と国道16号が交わる八王子市の八日町交差点付近を南へ進み、御殿峠を越えて境川をわたったとされる。この区間は古道が残っているところもある。
両国橋でお清め
人々は境川の両国橋まで来ると、ここで体を清めてから橋本宿に入ったという。両国橋から香福寺あたりまでは宿場として栄えた。
橋本仲町交差点から南に位置するJR横浜線の踏切は現在も「大山街道踏切」という名称が残る。さらに、踏切をわたり進むと右手には「大山道」と書かれた石碑もある。
大山道はその先で2つの道に分かれた。区画整理により現在は分岐はなくなっているが、その場所には「棒杭」という石柱が建っている。石柱に彫られた説明によると、ここから田名方面と当麻(上溝)方面に分かれていたという。金山さんによると、「実際の棒杭には、『右大山みち田名』と大きく残っており、田名の人々が宿場にお客を呼ぶために『田名が大山詣の近道』というのを強調したのでは」と推測する。
「知ると楽しい」
その後、大山道は鉄道網の発達とともに衰退していったという。金山さんは「普段は通り過ぎている道でも、歴史を学ぶと、すぐそこに歴史を感じられるようになるし、知ってみると『なるほど』と思えることがたくさんある。それが歴史を学ぶ楽しみですね」
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