戦後80年を迎える今年。終戦の年に創業し、復興の中、活字文化を守ってきた市内企業がある。町田を代表する書店「久美堂」は創業以来、人のつながりを大切に活字を求める市民の思いに応えてきた。
終戦から間もない1945年の冬、原町田の一角に、小さな「貸本屋」が誕生した。「久美堂文庫」と名付けられたその店を始めたのは、井之上久子さん--現在の久美堂社長・井之上健浩さんの祖母だ。「祖父はまだ戦地の満州から戻ってくることができず、祖母は一人、玉川学園で帰りを待っていた。そんな中、家にたくさんあった本を貸し出す『貸本屋』を始めたのが、久美堂の原点です」と井之上さんは振り返る。食料も物資も乏しい戦後の混乱期。人々は「活字」にも飢えていたようだ。知識や物語に触れることは大きな励みとなり、貸本屋は人気を集めるように。久子さんは当時履物屋だった店舗の定休日に軒先を借り、水曜限定で貸本屋を開設。その後も新たな本を集めるため、自らの着物や農産物を本と交換して歩いていたという。
そして1951年、久美堂は株式会社として法人化。以来、活字文化を町田に根付かせるため、力を尽くしてきた。井之上さんは「祖母はお客さん、社員に対し家族のように接していたと聞いています。本を売るだけではない、人と人とがつながる場所としての本屋づくりに力を入れてきたようです」と笑顔をみせる。
通販で本が手に入る時代を迎え、数多くの書店が姿を消していく中、久美堂は現在も市内外で6店舗を運営するなど、その灯を守り続けている。CDやレンタルビデオなど、流行りものが出ても久美堂は一貫して「本屋」であることにこだわり、「80年続けてくることができたのは、書店業をぶれずにやってきたからこそだと思います」と井之上さんは話す。
2011年の東日本大震災の際は被災地の子どもたちに全国から集まった約10万冊の本を自ら届けに向かったが、その時、現地の人々の喜ぶ姿、本を読みふける様子を見て、「本」が人の心を支える力をもっていることを実感したという。
読書インフラ守る
一方、久美堂は現在、地域の「読書インフラ」を守るため、町田の図書館運営にも携わっている。「図書館は本屋と競合する存在と思われがちだが、本と出会える大切な場所。地域のために地元企業が担う意義は大きいと感じている」と井之上さんは語る。
そして今後は、本を販売する場にとどまらず、「町田の暮らしの中へ出ていくことを目指している」という。イベントを開き、移動書店などを通じて、より多くの人が本と出会える環境を生み出していきたいといい、「日本の市町村の4分の1には、書店が一軒もないと言われる時代。『読書の街・町田』と呼ばれるよう、これからも書店業を続けていく。それが地域への恩返しになると思っています」
![]() 久美堂文庫の1946年時の様子(町田法人会冊子「Kawasemi」より)
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