海老名むかしばなし 第27話 まぼろしの梵鐘【1】
戸塚伊勢原線沿いの用田橋バス停から歩いて一分のところに寿閑寺がある。
近くを新幹線が走り、田畑が広がるのどかなところである。
この寿閑寺、以前は、周囲一町四方の土地を所有していたが戦後の農地開放によって墓だけを残すことになった。
旧寿閑寺跡の畑の中には、今も乃木家の墓は残っている(現在の寺の位置から北西方向五〇〇メートルのところ)。
寿閑寺は、明治の英雄乃木将軍の祖先に当る乃木寿閑が建立、延宝三年(一六七五)に梵鐘を寄進した。これは、直径三九センチメートル、高さ七五センチメートルでつり鐘としては小さい。
鐘銘に、祖先の霊を弔うため乃木寿閑が寄進、その子円寿院良閑日保が鐘文を書いたという意味の文が記してある。
乃木家は、かの有名な宇治川の合戦で、梶原景季と先陣争いをしたことで有名な佐々木高綱の子孫。
鎌倉幕府創業の功労で、佐々木高綱は、出雲、備前など七か国の守護となり、一族の一部は出雲国乃木村に居住し、乃木姓を名乗る。
後に相州に移り住み、遠馬群の代官をしていたという乃木出羽守高泰の一族の寿閑が造営したのが、この寿閑寺である。
また、鐘文を刻んだ寿閑の子円寿院良閑日保の墓は、東京の赤坂にある乃木神社にあるという。
《次回に続く》
参考資料/海老名むかしばなし
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