近年、各地に被害をもたらしている集中豪雨。厚木市内でも、かつて大洪水により被災した地域がある。旧玉川村(現在の七沢・小野・岡津古久)だ。このとき約3000人の住民を救ったのは地域の絆だった。
太平洋戦争が始まろうとしていた昭和16年。玉川村は食糧増産の施策として、田畑が広がっていた。当時10歳だった原田カネさん(小野在住82歳)は「村を流れる玉川はとてもきれいで、ウナギやアユを獲って食べていた」と振り返る。しかし玉川は厳しい顔も持っていた。当時は蛇行していて、たびたび氾濫し、年2回は床上浸水をおこしていたという。
そして同年7月12日、かつてないほどの豪雨が村を襲った。「夜8時頃だったと思う。ゴーゴーと音が鳴り響き、あっという間に水が襲ってきた」と原田さんは話す。ここは危ない―。頼ったのは隣の家だった。「厨子(2階部分)に避難させてもらった。怖い、怖いと身を寄せ合ったことは、今でも忘れられない」。
村一丸となって救援活動
そのころ、大人たちは情報収集に奔走していた。ついに堤防が決壊し、電話も不通になると、玉川駐在所の佐藤武男巡査(当時44歳)が厚木警察署へ救援要請に向かった。人命救助をしながら川を泳いで渡った記録が残っている。この要請により、厚木町から船が救援に駆け付けた。また青年団や婦人会、被災を免れた地域住民が炊き出しや救援にあたった。「大けがをして帰ってきた父を、警防団が毎日リヤカーで病院へ連れて行ってくれたことを覚えている。救助した父もまた、多くの方に助けられた」と佐藤巡査の次女、武厚子さん(76歳)は話す。
同年10月、小野地区の家屋の倒壊・流出30棟、犠牲者8人、全耕地を水浸させたこの洪水を教訓に、河川改修を開始、のちに現在の流路に整備された。
自然は人々に安らぎを与えるだけでなく、ときに牙をむく。そんなときに大切なのは「助けあう心」だ。私たちは、そのことを忘れてはいけない。
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