厚木・愛川・清川 社会
公開日:2025.08.15
戦後80年 戦禍の記憶【7】 麻生区白山在住 大橋健一さん(96)
「死ぬため」懸命に操縦訓練
3度の窮地 残った命
「典型的な軍国少年だった」15歳のとき、東京陸軍少年飛行兵学校に第17期生として入校。以来、3度にわたる「九死に一生を得る」経験をしてきた。
1度目は1945年4月。立川飛行場でB29による爆撃を受けた時。6人の同期生は一瞬のうちに吹き飛び、影も姿もなくなった。防空壕に居たために辛うじて命は残ったものの、低空で飛行する機体に恐ろしさを覚えた。「あれは魔物だ」
6月、陸軍航空士官学校の選抜試験に合格した。慣れてくると練習機の操縦訓練を行うように。2回目に「死」を意識したのはこの頃だった。練習中、100mほど上昇したところでエンジンが停止し降下。機体を安定させようと咄嗟に操縦桿(そうじゅうかん)に手をかけると、「馬鹿者。手を放せ」。同乗していた教官の怒鳴り声が聞こえた。理解できず呆然とする中、教官の冷静な操作のおかげで、機体も人も事なきを得た。
死と隣り合わせの日々だったが、格別に生活や学びの環境が整った航空士官学校での時間は楽しくもあった。「陸軍初めての画期的な編成」と評された当時の訓練。その特徴の一つが心理学者の登用だ。訓練生一人一人に心理テストを評された当時の訓練。その特徴の一つが心理学者の登用だ。訓練生一人一人に心理テストを
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