OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第6回 駿河台編【4】文・写真 藤野浩章
「意に沿わぬことがあると上司にであれ遠慮なく自分の意見を主張し、容れられないと未練気もなく辞職したり免職になったりすることをくり返してきた」(第二章)
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青年期になり、旗本の子息として幕府に出仕するようになった小栗忠順(ただまさ)
だが、幼少期から培ってきた性格は一貫していた。「又も小栗の一刻者(いっこくもの)よ」と陰口を叩かれ、それが「又一(・・)」に別の意味を与えることになってしまう。
「長いものには巻かれていればよい(中略)、としたり顔で忠告する者もいて、現にそうした世渡り上手は自分を追い越して出世してゆく」(同)。小栗のような者には生き辛い世の中で、もし"うまく"やっていれば、どうなっていただろうか、と思ってしまう。果たして日本の歴史は大きく変わっていただろうか。
本書には、そんな"うまくやっていた"人物として、勝麟太郎(かつりんたろう)、のちの勝海舟(かいしゅう)がたびたび登場する。
「忠順同様に五尺三寸あまりの丈ながら、鷲鼻(わしばな)の上で輝く目は油断なく相手の隙をうかがっているようにみえる。貧乏御家人の身から並々ならぬ努力と持ち前の鋭い時代感覚で昇進してきたのだという強い自負心を持ち、なにかにつけて門閥(もんばつ)への憎悪を明らさまにして憚(はばか)らぬところがある」(第一章)
五尺三寸は、160センチくらい。しかし似たところはそれくらいで、旗本の家に生まれた、いわばエリート出身の小栗とは真逆で、苦労して幕府に入った勝はどこか斜に構えたところがあったのだろう。この後、2人は何かにつけて火花を散らすことになる。その1つの事件が起こった地に行ってみることにしよう。国境の地、対馬(つしま)だ。
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