横須賀・三浦 コラム
公開日:2025.12.12
三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜
第24回 文・写真 藤野浩章
6月9日、久里浜海岸周辺は騒然としていた。陸では川越藩と彦根藩合わせて二千五百名が固め、海上には忍藩と会津藩から二百艘の船がひしめいていた。
その中で、急遽造られた応接所では井戸弘道(ひろみち)、戸田氏栄(うじよし)の浦賀奉行2名が控えた。両名には阿部正弘から"老中"である信任状が発給され、ご丁寧に将軍の印も捺(お)してあったという。国の行く末を左右する外交の場にニセ者を送るのもすごいが、そのセレモニーの開催を奉行所に丸投げするというのも相当なこと。その奮闘と混乱ぶりは本書でリアルに描かれているが、それを読むと奉行所の結束と責任感、地元の協力が無ければ全く違う結果になっていたかもしれないと思う。
特に三郎助と"奉行役"の香山栄左衛門は、事実上の政府責任者として、予備交渉から当日の応接まですべてに関わり、完璧なコーディネーターぶりだった。しかもただ"副奉行役"を演じただけでなく、アメリカ船を徹底して見て回ったほか、両国兵士の練度の違いも見逃さなかった。警備の武士の中には武具を慌てて古物商から買ったり、冑(かぶと)の緒の締め方を聞く者までいたという。三郎助は、政治的にも、そして現場の実感としても、日本の未来に暗然たる思いを持ったに違いない。
ペリー艦隊はその後も江戸湾の測量を続け、猿島にペリー・アイランド、近くの入江にはサスクハンナ湾と勝手に命名するなど、やりたい放題。奉行所は気が気ではなかったろう。
そしてようやく6月12日に浦賀を出発。三浦半島の沿岸はもちろん、武山の山頂からも、多くの見物人が見送ったという。
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