OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第46回 横須賀編【11】文・写真 藤野浩章
小栗はなぜ4度目となる勘定奉行を引き受けたのだろうか。
今回のオファーが、2回目となる長州征伐費用の捻出にあることは分かっていたが、前回は彼の意見を取り入れず長州藩に寛大な処分をしてしまった。それゆえ、本来の小栗ならば「やっていられない」として断るか、費用のメドをつけてすぐ辞めたかもしれない。
しかし今回は、結果として勘定奉行という重職で幕府の終焉を見届けることになるのだ。
"就任を断れば、「要らぬ造船所などで大金を費やすから、戦もできぬ」と陰口を叩かれるのは目に見えている。財政家としての自負がそれを許す
筈(はず)はなく"と、作者の大島は小栗の心の内を推察するが、やはり横須賀製鉄所の存在が、困難に立ち向かわせる大きな要素になったのだろう。
そう、彼はあくまでも「幕臣」であり続けた。幕府は日本そのものであって、その未来のために身を賭けることは当然の事だったのだ。
そんな小栗にとって一つの区切りとなる瞬間がやってきた。1865(慶應元)年9月27日、ついに横須賀製鉄所の鍬(くわ)入れ(起工)式が行われたのだ。この日は西洋暦だと11月15日。現在、横須賀市の「ヴェルニー小栗祭」が行われるのはこの日が由来だ。
横須賀中央駅から衣笠駅行きのバスに乗り、約10分。佐野四丁目バス停からすぐのところにあるのが「永嶋家長屋門」。小栗たちは地元・公郷(くごう)村の名主(なぬし)である永嶋家と、聖ヨゼフ病院近くの良長(りょうちょう)院に分宿してから式典に出席したという。
過酷な日々の中で迎えた、希望の日。小栗はここで、いったいどんな夢を見たのだろうか。
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