OGURIをあるく 〜小栗上野介をめぐる旅〜第47回 大坂編文・写真 藤野浩章
横須賀製鉄所の鍬(くわ)入れ式が行われた1週間前。ついに長州再征討の勅許が下り、幕府軍は出陣準備を進めていた。
ところがその直後、英仏米蘭の連合艦隊が突如として大坂湾に現れる。日米修好通商条約に明記されつつも勅許が得られず延期となっていた兵庫(神戸)開港を要求してきたのだ。慌てた幕府は長州攻撃を遅らせることになってしまったが、鍬入れ式で横須賀に滞在していた小栗はさぞかし気を揉んだことだろう。
しかし彼の頭の中には1つの確信があった。仏によれば、それは英公使パークスの発案で、さらに武器商人のグラバーを通じて薩摩の西郷隆盛と何度も面会しているという情報も入手する。犬猿の仲と言われる薩摩と長州が裏で手を結び、それを英が後押ししているのではないか──。小栗は大坂の幕閣にその懸念を急報する。すぐにでも長州を攻めなければ、薩摩と組んで一気に倒幕に向かってしまうことは明白。大坂の老中、阿部正(まさ)外(と)らは、まず兵庫問題を処理すべく、4国に無勅許での開港を伝える。
ところが、それに猛反発したのが天皇側近の公卿(くぎょう)たちだった。しかもあろうことか、将軍家茂(いえもち)の側近である阿部らを目の上のこぶと見ていた一橋慶喜(よしのぶ)は、天皇に働きかけて彼らを罷免してしまう。そんな朝廷と慶喜の軽率な行動に、幕閣は怒りを露(あら)わにする。この期に及んで、政治の中枢ではとんでもない内輪揉めが起きていたのである。
後から考えれば完全に薩長の術中にはまった瞬間だったが、遠く江戸にいる小栗は、その行く末がクリアに見えていたのではないだろうか。
どうする、小栗。事態は切迫していた。
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