三郎助を追う〜もうひとりのラストサムライ〜 第1回 プロローグ文・写真 藤野浩章
着陸態勢に入り、車輪の出る軽い衝撃が足下から伝わる。ふと左窓を見ると、眼下に不思議な地形が見えた。鮮やかな新緑が、ほぼ正確に星を描いている。
--五稜郭(ごりょうかく)だ。思わぬタイミングでの登場に、慌ててカメラを構えた。
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大島昌宏は短い作家人生の中で9人の人物を描いたが、うち横須賀三部作とした3人は小栗上野介、中島三郎助(さぶろうすけ)、三浦按針の順番で書かれた。三郎助の『北の海鳴り』は今からちょうど30年前に出版されたものだ。
物語はいきなりペリーとの対決から始まる。この時についた「嘘」が、結果的に日本の未来をこじ開けることになるが、三郎助の功績はこんなものではない。持ち前の好奇心と仕事への忠実さで、彼はその後の日本に重大な影響をもたらすいくつものミッションに挑戦していくのだ。
幕末の大事件で、一人の役人が咄嗟(とっさ)についた嘘。そこから始まる物語はあまりにもドラマチックだ。大島はそれを丁寧に描き、心の内を解き明かしていく。それには、前年に書かれた小栗上野介(『罪なくして斬らる』)の影響が大きいのではないかと思う。
とかく英雄(ヒーロー)ばかりが脚光を浴びる幕末だが、その裏には激動の世を生き、自分の持ち場で必死にもがいた人たちがいた。大島はそんな人物が好きだったのだろう。
『北の海鳴り』には勝海舟、桂小五郎、榎本武揚(たけあき)、土方(ひじかた)歳三、そして小栗上野介、さらには清水次郎長など、さながら幕末オールスターと言える偉人が何人も登場する。そんな"主役級"の、とかく立ち回りが派手な偉人たちは、三郎助とは好対照だ。
そして最期はここ函館の地に骨を埋(うず)めることになる。小栗に続いて2作連続の悲劇はなかなか重いものがあるが、三郎助はなぜこの地で亡くならなければならなかったのか。同書をベースに"ラスト・サムライ"の背中を追ってみたい。
大島昌宏著『北の海鳴り』幕末を駆け抜けた浦賀のラスト・サムライ
幕末、激動の日本を駆け抜けた"ラスト・サムライ"中島三郎助(1821〜1869)。
浦賀奉行所の与力として、ペリー来航時に初めてサスケハナ号に乗り込むことに成功した彼が繰り出した嘘とは?
さらに長崎海軍伝習所で造船や航海を学び、日本海軍の基礎を創った彼だったが、江戸幕府崩壊の危機の中で向かったのは蝦夷地だった。
やがて北の海鳴りを聞きながら、三郎助たちは命をかけて戦うことになる。彼らはいったい何を守ろうとしていたのか?そして三郎助が最期についた嘘とは--
幕末を彩ったさまざまなキーマンたちと時代を創り、北の大地に散った江戸幕府最後のサムライを描いた大島昌宏の傑作歴史小説が、30年の時を経て電子書籍で復刊!
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