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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.10.02

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第63回 文・写真 藤野浩章

  • 実物大で復元された開陽丸(北海道江差町)

    実物大で復元された開陽丸(北海道江差町)

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

「あんたほどの人、海軍としてはまだまだ楽をさせるわけにはいかんのさ」

     ◇

 慶応3(1867)年4月。隠居して家にこもっていた三郎助の元に、奉行所から呼び出しがかかる。何事かと思い向かうと、奉行の書き付けに「...開陽丸、軍艦出役を命ず...」という文字を見つける。三郎助の"第二の人生"が始まった瞬間だった。署名の主は、軍艦奉行・勝海舟だ。本書では「宙をとぶように」と表現されているが、まさにそんな気分だったろう。致仕(ちし)したとはいえ、体は回復し、気力も衰えていない。しかも大騒乱の時期を迎える中、幕府軍人として自分に何ができるのか?を考える毎日だったに違いない。

 かくして急いで向かった横浜で、勝との再会を果たす。冒頭のセリフは彼のもの。どうやら、オランダから最新鋭の軍艦「開陽丸」の引き渡しを控え、日本人乗組員の編成を急ぐのだという。

 そしてもう一人、幕府初の外国留学生としてオランダに渡っていた榎本釜次郎が、西洋式軍服と革靴という出立(いでたち)で登場する。こうして幕府海軍はようやく、勝の元に32歳の若き提督、そして三郎助と浦賀奉行所から選抜した乗組員を"国内最強の洋式戦艦"に乗せ、形を整えつつあった。

 しかしそのオランダは、すでに力を失いかけていた。この頃、兵庫開港問題がピークを迎え、その中でイギリス公使パークスは通訳アーネスト・サトウの情報から薩摩と接近。一方フランスが支援したのが幕府だった。英仏が激しく暗躍する中で、小栗は横須賀造船所の建設を進め、そして三郎助にはついに大坂への出陣が命じられる。

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