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横須賀・三浦 コラム

公開日:2026.10.09

三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 第64回 文・写真 藤野浩章

  • 京都・二条城

    京都・二条城

  • 三郎助を追う 〜もうひとりのラストサムライ〜 (写真2)

「どうです。中島さんにご出馬願った理由が、お分かりになったでしょう」

◇

 鋼鉄製、口径16インチ、射程距離約4千m。開陽丸に積まれたプロイセン(ドイツ)製の「クルップ砲」を見て、今まで浦賀の砲台を整備してきた三郎助は舌を巻いた。幕府の大砲といえばフランスの「ナポレオン砲」だったが、ブロンズ(青銅)製で射程がおよそ千mほどだったそれに比べ、威力は歴然としていた。何より弾は元込め式だったため、敵に体を晒(さら)さずに済む点も高評価だった。冒頭のセリフは海軍副総裁として「武揚(たけあき)」と名乗るようになった榎本のもの。人も武装も寄せ集めのようになっていた現場では、三郎助のようなベテランが欠かせなかったのだ。

 ところでこの頃、15代将軍・慶喜(よしのぶ)は大きな軍制改革をしている。陸軍は小栗上野介の後押しもあり、フランスから軍事顧問団を招聘。一方で海軍は「七つの海を支配する」イギリスに命運を賭けたのだ。榎本が留学していたオランダはすでに力を失っていたが、海もフランスでないのは不思議なところ。諸説あるが、洋式海軍をゼロから構築するには世界最強の海軍力に学ぶのが早い、という考えがあったという。さらに、フランスに独占されることを恐れたイギリスの思惑と勝海舟の大きな後押しもあった。こうして小栗と勝の思想の違いや世界的な対立を巻き込みながら、いよいよ江戸幕府は重大な最終局面に突き進んでいく。

 慶応3(1867)年10月。薩長による討幕の動きが加速したまさにその時、慶喜は二条城で起死回生の秘策を繰り出す。大政奉還である。

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