藤沢 文化
公開日:2025.09.12
鵠沼・夢想山 本真寺
全国6万戸を救った尼僧
颯田本真尼の実像とは
全国各地で防災の取り組みが行われる9月。明治から大正にかけて、全国の被災地でボランティア活動を行った人物がいた。現在の鵠沼・本真寺の前身となる地で過ごした浄土宗の尼僧・颯田本真尼(さったほんしんに)(1845〜1928)がその人だ。被災者救済に尽力した本真尼とは何者か。同寺を訪ねた。
颯田本真尼は三河国(現在の愛知県)の生まれ。12歳で得度して以来、信仰に生涯を捧げた。18歳の頃、同県吉田町に徳雲寺の前身となる草庵を建立し住職となり、3年間一度も横にならない「不臥(ふが)」を行うなど、厳しい修行に励んだ。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の時代にも村人に親しまれ、多くの弟子の入門を受けたことが、伝記『颯田本真尼の生涯』(藤吉慈海著・春秋社)に記されている。
転機となったのは46歳の頃、三河地方が津波により多大な被害を受けた際に救済活動を行った。以来、翌年の濃尾地震や、1896年の明治三陸地震など大規模災害を含むさまざまな被災地に大量の衣類や布団を運んだ。その活動範囲は北海道から鹿児島の桜島にまで及び、34年間で約150町村、約6万戸に施しを行ったとされる。
仏教では「布施行(ふせぎょう)」と呼ばれる施しの方法があり、出家信者は仏の教えを説く「法施(ほうせ)」をするのが一般的だが、本真尼は物を施す「財施(ざいせ)」にも力を注いだ。だが、救援物資や災害情報など、本真尼一人の力で得ることは難しい。「鵠沼を語る会」の調べによると、細川侯爵家やカレーで知られる新宿中村屋の他、大隈重信夫人・綾子などが発起人となった慈善団体など、政財界の要人からの支援があったという。
鵠沼に来たのは、本真寺の前身となる説教所「慈教庵(じきょうあん)」を開設した支援者の一人に招かれたからだ。山号の「夢想山(むそうざん)」は、本真尼が同庵を訪れる10年ほど前に見た夢の光景と、鵠沼の光景が似ていたからだという。
自身は自他に倹約・自給自足を徹底して行った。同寺の現住職・斎藤良典さん(62)は「修行生活に妥協のない厳しい方だったと聞いている」と話す。当時同庵は修行の場であり、尼僧たちを指導する立場だった。「食べ物は全て畑で採り、寄付いただいた物は全て蓄えていた」と斎藤住職。その行いが功を奏したのは関東大震災の時、ヒエ・アワなど備蓄していた物資により災後をしのぐことができたとされる。「自分も精一杯暮らしを行い、民衆や弱者に寄り添うことを忘れなかった」
斎藤住職は「救済活動はあくまでお念仏の教えに則り行われたもの」とするが「本当に困ったときは、お念仏だけではない、物資の提供が必要。本真尼が生涯貫いた『自分のできることをする』という考えは、防災・減災をする上で非常に重要なのでは」と話した。
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