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茅ヶ崎・寒川 社会

公開日:2021.08.27

1923年9月1日、茅ヶ崎では何が起こったか
関東大震災の被害を振り返る

  • 関東大震災後、突如地中から現れた木の杭。後の調査で1198年に源頼朝の家臣・稲毛重成が亡き妻の供養のためにかけた橋の橋脚と考証されている

 1923(大正12)年9月1日午前11時58分に発生した関東大震災。当時の茅ヶ崎町役場の記録によれば、人口約2万人のうち、156人が亡くなり、重傷者も61人を数えた。

 また住宅3426戸のうち2112戸が全壊、1207戸が半壊したという。

 大きな揺れによって堤防や道路、橋梁の破損も相次ぎ、東海道線の馬入川鉄橋が崩落。茅ケ崎駅の駅舎や町役場、製糸工場7棟のほか、市域にあった4つの尋常高等小学校の校舎全てが倒壊し、鶴嶺小学校に通う6年生の男子児童1人が亡くなった。

 一方で首都東京などで甚大な被害をもたらした火災については「4カ所で出火し全焼は1戸のみ」だったという。

 津波についても「平島(現在の漁港の防波堤)まで潮が引き、国道134号付近まで戻った」という証言がある一方で「来なかった」という記録もあるなど、大きな被害は出なかったとみられる。

 各地で報告されているのは、地割れや土地の隆起・陥没、液状化。市内下町屋に残る「国指定史跡 旧相模川橋脚」もこの時に出現した。震災後は衛生状況の悪化で腸チフスが流行したという。

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