平塚(まち)の足跡 〜町名探訪〜 第71回 「八重咲町」
JR平塚駅の南側に位置し、マンションが立ち並ぶほか、多様な業態の飲食店が軒を連ねる住宅街。かつては大字平塚の字「東濱嶽」と、大字平塚新宿の字「新宿濱嶽」の一部の地であった。
八重咲町という地名は、昭和25年5月、旧市街地の全世帯に配布された町名町界の改正仮案図面の中で、単なる美名として付けられていたもの。市民からの反対意見もなかったため、昭和27年3月に町名町界案が決定、同32年6月、市議会全員協議会に諮って新町名町界案が定められた。住居表示は、同40年7月1日に実施。
戦前には岩村通俊男爵や、株式会社日立製作所の創業者である小平浪平などの名士が別荘を構えた地でもある。また、著書「食道楽」で名を馳せた村井弦斎や、河野一郎なども居住した。町内には弦斎の功績を称え、弦斎の名を冠した通りと公園が整備されている。
八重咲町という地名にちなみ、地域住民の手によって東海道線沿いの道路に八重桜が植えられたこともあった。
【協力/平塚市氏編さん担当】
■次回は山下の予定
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