平塚・大磯・二宮・中井 文化
公開日:2016.01.07
山王信仰が影響
災い「さる」石像の謎
県民俗文化財の庚申塔
長楽寺や正福寺をはじめ、市内各地に古くからある、猿が彫られた石塔をご存じだろうか。申年の幕開けに合わせ、この石塔の正体について、平塚市博物館の民俗学担当学芸員、浜野達也さんに話を聞いた。
石塔は「庚申塔・庚申塚」と呼ばれるもので、庚申待という民俗行事に基づいて作られたものだという。
「庚申」は、十干・十二支を組み合わせ60日で一周の月日を表す中国発祥の暦。庚申の日は「三尸」という虫が寝ている間に人の体を抜け出し、天帝という神様にその人の罪悪を告げて寿命を縮める言われがあり、眠らずに過ごす「庚申講・庚申待」という風習が生まれた。古くは平安時代にも記録が残るほか、親睦会を兼ね現在も行っている地域があるという。
庚申塔は、三尸虫がいなくなるとされる3年18回、講を繰り返した記念に建てられることが多い。庚申講の文化が民間にも伝承した江戸時代から建立されるようになった。
市内には179基の庚申塔が現存し、その内117基に猿が彫られている。猿が彫られている理由の1つは「庚申」の文字にかけているからだという。
彫られている猿の多くは「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿。浜野さんによると、三猿は元々インドなどに端を発し、天台宗の留学僧が日本に持ち込んだもの。天台宗の本山では猿は神の遣いとされ、室町期以降、天台宗と神道の山神が絡んだ山王信仰の象徴として、全国的に流行した。
長楽寺と正福寺の庚申塔は、仏教で天帝の代わりとされた青面金剛を中心に、脇に2猿が座る三尊形式をとる。県内でもこの形式は7基しか無く、全て県指定有形民俗文化財に登録されている。
幕末になると神の遣いである猿は廃仏毀釈の対象となり、「庚申塔」の文字のみが彫られるようになった。浜野さんは「猿がいれば、江戸時代の物と考えていい。民間信仰のため、有名石工に限らず地元の人が彫ったようなものも多く、猿それぞれ表情が違って面白い」と説明する。
庚申塔は東部を中心に神奈川県全域に残るが、平塚市では17世紀後半に建立された塔が特に多い。「空襲や震災を経て失われても、記念という建立理由からか庚申塔は殆ど再建されない。それでも、平塚では相模川の海運で良質な石材が運ばれていたこともあり、古い時代の石塔が風化し切らず残っている」と説明する。
浜野さんは「猿を彫ることで、文字通り災いが『去る』ことを期待したのでは」と石塔に込められた平塚の人の想いを説明していた。
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