東日本大震災の発生から明日で5年。本紙では、津波による被害を受けた宮城県石巻市に派遣された2人の市職員を取材した。被災地での体験、支援のあり方を聞いた。
平塚市は石巻市と災害協定を結んでいることから、市によるとこれまでに67人の職員が石巻に滞在し復興支援を行ってきた。今も4人が現地で働いている。
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まちづくり政策課にいた木原友生(ともお)さん(40)は、2011年4月24日から5月3日まで、神奈川県・市町村合同派遣隊として被災地の石巻市に赴任した。
地震発生から約1カ月後の石巻は、倒壊したままの家屋、がれきが散乱し、山積み状態だった。「歩くのもままならない状況で、臭いもきつかった」と当時を振り返る。
木原さんは石巻市立釜小学校避難所で、食事メニューの決定や配給、支援物資の受け入れなどを担当した。朝6時30分から配給準備を始め、1日の業務が終わるのは午後6時30分。電気やガスも復旧しておらず、夜はヘッドランプの明かりが頼りだった。そんな状況下で「自分にできることはあるのだろうかという葛藤と隣合わせの毎日」を過ごした。
避難所ではみな塞ぎ込み、中には自分だけが生き残ったことを責め続ける人たちもいた。木原さんは被災者の聞き役に徹し、少しでも気持ちが楽になるよう振る舞った。
派遣作業を終えた木原さんは、平塚市の防災に活かそうと山下小学校避難所のマニュアルを見直し、学校で行う防災授業では、自身の経験をもとに防災の意義を説いてまわった。
木原さんは「日頃から防災意識を持つこと。有事の際に、数日間の食料の確保や避難経路などを確保することが大切だ」と語った。
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当時、下水道整備課にいた渡辺航矢さん(28)は、上司の推薦もあって2011年10月から12年7月までの長期派遣に参加した。
石巻市役所では下水道の被害確認が主な仕事で、連日、市内各地をまわった。津波被害の惨状はどこも想像以上で、肉親を失い失意の中にいる人と会うたびに心が折れそうになった。「ですが、家族や家を失っても明るく頑張る石巻市の職員もいた。そんな人間の強さに私の方が励まされた」と、当時を振り返る。
渡辺さんは今も休みを利用して石巻に足を運ぶ。昨年5月に行った時には、がれきの山はなくなり、商店街も徐々に活気を取り戻していた。初めて来た時に感じた殺伐としたまちの雰囲気も、少し温かく思えた。
必要な支援については「実際に被災地を訪れ、見て聞いて感じることが大切」と渡辺さん。「同時に、平塚で災害が起きた時の備えについて真剣に考え行動する。これが私たちに今できること」と、教訓に学ぶ必要性も強調した。
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