原木しいたけの栽培を60年以上続けている 野谷 富雄さん 二宮町山西在住 90歳
厳しく愛情持って育てる
○…戦後、農業用ビニールが出たと知り、キュウリやトマトのハウス栽培を始めた。しかし、すぐに疑問が生じた。虫が喰った野菜を食べれば安心なのに、世の奥様方は見た目がきれいな野菜を選ぶ。「消毒をしないですむ農作物」を求め、たどり着いたのが原木しいたけ。昭和33年から栽培方法の研究に取り組み、種菌の開拓や栽培の普及・指導にも力を注いできた。
○…「原木しいたけにとって一番の薬は刺激。木を落としたり、水槽の水に浸けたりして、眠っていた菌がぱっと目を覚ます」。しいたけ生産量の95%は菌床栽培。輸送費をかけて岩手からコナラの木を取り寄せ、重労働で管理に気を抜けない原木栽培だが、「やめようとは思わない。木の養分を取って硬い皮から芽が出てくるのだからすごい力。そりゃ、味が違う」とにんまり。
○…昭和5年、二宮町で農家の長男に生まれた。温厚で人に慕われた父。母と母方の祖母は「おっかないけれど愛情深い人だった」と振り返る。働き者で曲がったことが嫌いな両親らの血を受け継いだ。小学校高学年のころから勤労奉仕に明け暮れ、防空壕掘りや学校の田んぼ作り、男手がなくなった他家の農作業を手伝った。二宮小学校で急降下した米軍機に襲われたときの恐ろしさは今でも忘れない。
○…県林業協会の副会長を務め、全国植樹祭に3度参加した。二人三脚でしいたけを作り続けた妻を介護し、炊事もこなす。組合やPTAなどの役員を引き受けて家を留守にしたことが多く、妻には感謝。よく噛んで少食、しいたけ栽培が元気の秘訣。長年、山西小学校の農業体験学習に協力し、子どもたちからのお礼の手紙や寄せ書きの束は宝物だ。「歳を取ったら、ゆっくり読みます」
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2021年1月8日号
2020年10月23日号