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秦野 人物風土記

公開日:2016.11.19

小田原市の特別養護老人ホーム「たちばなの里」の施設長を務める
斉藤 洋子さん
寺山在住 76歳

いつでも全力、常に挑戦

 ○…「丹波の大江山の田舎町で幼少期を過ごしました」。1940年、戦時中の京都に生まれた。父は海軍の軍人、弟は後に漫画「ナニワ金融道」の作者となる青木雄二氏。高校卒業の頃、父が定年を迎え、父の実家がある岡山へ引っ越した。そこで、友人の母親が病に倒れ、入院していたことがきっかけで看護師への道を目指すことに。「これからは女性も誇りを持って外で働ける時代だよ」。母親から言われた言葉は今でも胸に焼き付いている。

 ○…岡山の看護学校に3年間通い、看護師へ。自分が理想とする職場を追い求め、兵庫、東京の病院で勤務した。29歳で結婚。夫の職場が秦野にあったことがきっかけで移り住み、2男1女を授かった。しかし、職場の同僚からは「3人も子どもなんて産んで」と冷ややかに言われたこともあった。それでも、仕事への情熱が冷めることはなく、子育てと仕事をこなした。「当時の看護師を取り巻く環境は劣悪で、有休、産休、育休もまともに取れなかった」と振り返る。「自分が求める理想は自分で獲得する」と言い聞かせ、これから育つ後輩が誇りを持てる職場を作りたいと環境改善を訴え続けた。

 ○…2006年7月、看護師時代の知人の紹介で、たちばなの里に赴任。同施設での勤務がきっかけで66歳にして運転免許を取得する豪快さ。同年10月から施設長に。翌年、家族と一緒にいたいところを悩んで入所してきた人の気持ちに立って施設歌「たちばなの里」を作った。

 ○…自宅には広大な畑が広がり、カボチャやじゃがいも、たまねぎと種類も豊富。朝8時の出勤前には、毎日1時間手入れを欠かさない。「食はどんなときでも命を救ってくれる。土地を耕さないと命は作れないことを両親は教えてくれた」と懐かしげに語る。「収穫したら、施設のみんなにあげているの」。仕事への情熱さの中に温かな表情が垣間見えた。

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