全日本吹奏楽コンクールの課題曲の一つ、「青葉の街で」を作曲した 小林 武夫さん 荏田西在住 42歳
青葉と故郷、音にのせ
○…夏のコンクールに向け、提示されている課題曲5曲。昨年の作曲コンクールで、205点の応募の中からその一つに選ばれた。8年前の挑戦から3回目にして初入選。青葉台駅前を歩いていた4年前に思いついたメロディーだ。「ずっと青葉区の曲が作りたかった。地元近くの仙台に雰囲気が似た、この街が好きだから」
○…普段はメーカーで技術開発を行う会社員。音楽好きの家庭に生まれ、幼少時代の夢は作曲家だ。当時からよく譜面を書き写していた。音楽家の道を心配した親の反対から異なる道へ進んだが、それでも作曲への思いは消えていなかった。仕事に必死だった日々を越え、30代を過ぎて作曲を開始。講師に師事して学ぶほか、横浜緑吹奏楽団でファゴットも演奏する。
○…今回の作品「青葉の街で」は3年前に応募するはずだった。締め切りが2週間後に迫る3月11日、東日本大震災で故郷の宮城県石巻市の姿は一変。実家に津波は届かなかったが被害は大きく、窓ガラスも全壊した。海岸近くは今も何もない更地が広がる。「曲を書く意味は何なのか」。作曲中の曲をそのまま抱え込み、約2年間自問した。作曲を「諦める」か「曲が選ばれるまで書き続ける」か。残された2択を悩み、決意した。「小さい時からの夢を捨てきれなかったんですね」。手を加え、2年越しに完成させた作品でつかんだ入選に、母親は「やっと音楽で名を残せたね」と泣いて喜んだ。地元出身者の楽曲として、石巻の楽団が震災後初めて開いた演奏会でも奏でられ、その音は故郷に届いた。震災時、壁新聞を発行し続けたことで知られる石巻日日新聞から取材も受けた。
○…「ただ書くだけでなく、音になって人に聴いてもらいたい」。目標は1曲でも多くの曲を発表し、演奏してもらうこと。「やっと踏み出した」と、うずめきながら眠っていた音楽好きの少年の夢は、時を経て歩み始めている。
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