青葉区 文化
公開日:2023.03.09
谷本中講演会
米軍機墜落事故から46年
被害者遺族の土志田さん
谷本中学校(高部振司校長)で2月27日、2年生が体育館に集まり、平和学習講演会が行われた。今から46年前の1977年9月27日、厚木基地を離陸した米軍機がエンジントラブルにより旧緑区荏田町(現青葉区荏田北)に墜落した。現場付近に住んでいた土志田和枝さん(当時26歳)と和枝さんの長男・裕一郎君(当時3歳)、次男・康弘君(当時1歳)を含む9人の死傷者を出した横浜米軍機墜落事故。広島への修学旅行前に命の大切さと平和について考える機会として高部校長が和枝さんの2歳年上の兄、土志田隆さんに依頼した。土志田さんが講演を行うのは今回が初めて。「生前、父が話していたがそれぞれの立場で見方が違う。当時、私の立場から感じたことを伝えられたら」と悲惨な事故を語り継いだ。
「今も結論は出ない」
「46年前、凄く暑い日でした」。土志田さんは米軍機墜落から和枝さんが亡くなるまで時系列を追い、言葉を紡いだ。事故直後、「飛行機が落ちて燃えている」という第一報を聞き、サイレンが鳴り響く自宅へ駆けつけると、家は焼け落ち、米軍機のエンジンが放り出されていた。「どうやって家の人は避難したんだ」。重症だった和枝さんは藤が丘病院の集中治療室に。全身の80%がやけどで皮膚が無い状態、「お兄ちゃん助けて」という和枝さんに「大丈夫。頑張れ」としか声を掛けてあげられなかった。「とにかく生きる力を持ってほしかった」。半日後に亡くなった2人の息子の死は、勇気を取り戻せるようにと事故から1年以上経つまで伏せたまま、家族がそれぞれの立場から和枝さんの回復を願って看病に必死だった。
体液が流出しないように豚の皮膚や80人以上の皮膚移植手術など想像を絶する闘病生活。リハビリを続け、入退院を繰り返すものの事故から4年4カ月後に心因性の呼吸困難で戻らぬ人に。「やっと楽になったね。子どもたちと一緒に和枝が安らかに眠れる」
しかし、今でも迷う。「生きることを無理強いしていたのではないか。現在も和枝にどうしてあげることが良かったのか結論が出ない。話をしていると当時を思い出してしまう」と言葉を詰まらせた。「生徒には、少しでも何かを感じ取ってもらえたら。私はジェット機が飛ばない空を願う」と語りかけた。
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