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公開日:2025.10.09

県赤十字血液センター
妻との約束、映像化
輸血受けた家族の実話

  • 一度目の手術から1カ月程経過した時の利江子さん(左から2人目)=提供写真

  • 映像に出演した佐藤さん

 神奈川県赤十字血液センター(大豆戸町)では輸血経験者とその家族の体験を元にした動画「LIFE GOES ON」を制作しており、9月30日に6作目を公開した。新作「君とした『献血200回』の約束」には緑区在住の佐藤義寿さん(66)が出演。動画ではがんだった妻との実話が語られており、献血者への感謝が込められている。

 同シリーズの動画は、輸血で命が救われた実話を通じて、献血の大切さを広く社会に伝えることを目的としている。

 佐藤さんは2008年、妻・利江子さん(当時51)と長男、長女と家族4人で暮らしていた。ところが突然、利江子さんの足が動かなくなり救急搬送された。医師からがんだと診断され、「抗がん剤を使用しても余命は1〜2カ月」と宣告された。脊椎に腫瘍ができ、それが体中に転移、神経が圧迫され命の危険がある状態だった。がんだと知らされた佐藤さんは「目の前が真っ暗になった」と話すが、利江子さんの表情は全く変わらなかったという。「我慢強い性格で芯の強い女性。今思えば、娘が中学生だったため『ここで死ぬわけにはいけない』という強い気持ちがあったのかも」と佐藤さん。診断から1週間後、横浜労災病院で輸血を伴う背中の手術を受けた。手術は成功して一命をとりとめた。佐藤さんは利江子さんががんに侵される前に5回献血していたが、手術を機により積極的に行うようになった。

 手術は成功したものの、医師から「今後歩行は困難」と告げられた。家では歩行器を、外出時は車いすを使用。しかし、利江子さんは約半年間リハビリに励み、杖を使って自力で歩けるように。時折体調を崩す時もあったが、園芸が趣味だった利江子さんはベランダでプランター栽培をしたり、時間があると園芸店やホームセンターに出掛けたりした。四季の森公園(緑区)にもよく訪れた。普段は人混みを避けたが長女の成人式には同行。「がんを知った時は泣かなかったが、娘の前撮りの時には涙を流した」と佐藤さんは利江子さんの様子を語る。

恩返しに200回の献血を

 16年、脊椎の腫瘍が大きくなっていることを発見。1度目とは違い、脊椎を補強するための金属プレートが入っている状態だったが、2度目の手術に踏み切った。「一度手術を経験して、その辛さは本人が誰よりも知っている」と口にする佐藤さん。その時の佐藤さんの献血回数は90回を超えており「二度の輸血を受ける恩返しに200回の献血をする」と利江子さんと約束した。利江子さんは二度目の手術を乗り越えたが、それから間も無く旅立った。17年6月25日、利江子さんが60歳の誕生日を迎えて3日後のことだった。佐藤さんは「10年の歳月は密度が濃く、家族にとってかけがえのない時間だった」と語る。

 約束の200回目を迎えたのは24年8月。「献血してくださる方々の優しさで10年にわたる命の時間をもらった。その感謝はずっと忘れることはなかった」。公開された動画を見た佐藤さんは「改めて妻と過ごした日々を思い出した。それと同時に、(献血者への)感謝の気持ちでいっぱいになる」と口にする。

 利江子さんが好きだった園芸に関わろうと、昨年11月から四季の森公園でボランティア活動を始めた。仲間と花や草木の手入れをしている。

若年層の献血減少

 少子高齢化で献血可能人口が減少している。10〜30歳代の献血者数は10年間で約21%減。若年層の献血離れが続き、同センターでは安定的な血液確保を課題としている。

 神奈川県内における一日に必要な献血者数は950人。一年間では、全血献血の必要献血者数は22万4720人、成分献血は11万7939人で、9月末時点の達成率は全血献血が102・3%、成分献血が99・6%となっている。しかし、冬場は風邪やインフルエンザの流行などで献血者が少なくなる時期のため、今後も献血の協力が必要となる。献血は献血ルームと献血バスで行える。

 献血場所は同センターのホームページから確認を。

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