連載 地図・絵図で見る瀬谷の生い立ち 第8回 関東大震災時の瀬谷村周辺の様子文/横浜・瀬谷地図くらぶ 田中常義
図には関東大震災2年前の当時の主な集落であった瀬谷村を中心に上瀬谷・相沢・二ツ橋・橋戸・北村・宮沢・原店・阿久和がみえる。
”関東大震災はちょうど昼時、火を用いる家庭もあり、激震は火をもまき添えにして県下でさえ、死者29・6万人、行方不明2300人、それに112・36万の家屋を失うという未曽有の悲惨な不祥事”となった。近隣の家屋の倒壊状況は”中和田83・4%、中川56・7%であったが、・・・その点瀬谷地区は36・7%で被害は最も少なかったようであり、・・・製糸では瀬谷で2工場、中和田で3工場の被害があり、再起不能となったものさえあった”という(『明治百年記念戸塚区郷土誌』昭和43年、P245)。
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