連載 地図・絵図で見る瀬谷の生い立ち 第10回 明治20年代の「迅速測図」と「偵察録」にみる瀬谷その2 明治初期の二ツ橋村 むらの様子文/横浜・瀬谷地図くらぶ 田中常義
「偵察録」とは明治10年代の地形図「迅速測図」の整備過程で生み出した「兵要地誌」。軍事作戦を立てるため、対象地域の地形・構造物や、森林・水・交通路・居住地などと共に、特に、人情・風俗・宗教・貧富・人民の気質など広範に亘り、明治前期、政府が各府県に提出させた記録。「皇国地誌」などと合わせ読むと村の様子を知り得て貴重。二ツ橋村は、人口233、戸数50、旅舗1、人車2、荷車4、大工4、医師及薬剤手1、田34・畑41、琉球薯570、藁80、駄馬7、鶏150、繭240斤などとある。(佐藤『偵察録』について〜明治前期民情調査報告『偵察録』解題・迅速測図原図復刻版編集委員会『明治前期手書彩色関東実測図資料編』平成3・3)
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