連載 地図・絵図で見る瀬谷の生い立ち 第11回 「迅速測図」と「偵察録」にみる明治初期の瀬谷その3 明治初期の瀬谷周辺の森林〜薪・炭と生活 文/横浜・瀬谷地図くらぶ 田中常義
『森林ハ、下鶴間村ノ東南鎌倉郡瀬谷村近傍ニアル松・杉・檜ヲ上等ノ材料トシ楢・椚ハ炭トナスニ便ナリ。東ニ連担スル楢林ハ其長サ千米突(m)、巾五百米突(m)以上ノモノ所々ニ散在シ、炭・真木(薪)トナス目的ナレバ7、8年ニ逐次ニ伐採ノ故ニ大樹ナシ、竹林ハ瀬谷村近傍ヲ尤モ多シトス』とある(「偵察録」明治15年3月相模国鎌倉郡瀬谷村・下鶴間村の森林の項より抜粋)。
明治10年代の瀬谷村は人口2081、戸数380、学校1、寺院7、旅舗4、人車7、荷車120、鋳工1、大工5、桶工2、家根師12、杣夫2、木挽12、医師・薬剤師1などとあり、村の生活が垣間見える。炭焼きと薪で暖房や煮炊きには便利な土地柄だったようだ。
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