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戸塚区・泉区 社会

公開日:2025.11.27

あの頃の泉区、これからの泉区 vol.3〜2026年泉区制40周年〜 #住むなら泉区
苦しむ人に正しい希望を
関 茂樹さん(ゆめが丘グループ・代表)

  • 関茂樹さん(44歳)…中和田南小、泉が丘中出身。2015年に精神障害者の就労支援施設「ゆめが丘DC」を開所。若者支援のための自立援助ホームや児童家庭支援センターの運営と並行し、全国で「シルバーリボン」の啓発にも力を注ぐ。

 「10代の頃は警察にもお世話になり、まわりにも迷惑をかけた。だからこそ、地元に恩を返す気持ちもあってゆめが丘を拠点にしました」

 関茂樹さん(44)は2015年、当時まだ開発の進んでいなかったゆめが丘駅近くに就労支援施設「ゆめが丘DC」を開設。精神疾患がある人を中心に、地域社会に参画していくためのサポートを続けている。

 具体的には、利用者に作業プログラムに従事してもらうことで生活リズムをつけたり、仕事の意識をもってもらったりしているという。支援で大事なのはその人をよく知ること(アセスメント)といい、「一人ひとり、性格も背景もちがう。その人を理解し、適切なかかわりが何より大切です」と語る。

暴走族から「精神疾患」

 「素行さえ良くすれば、特待生の推薦もできるぞ」。泉が丘中に通っていた頃、サッカー部の顧問にそう言われた。だが当時、兄の友人や先輩たちの影響もあって、「特攻服がかっこよかったから」と暴走族を選んだ。家庭に不満があったわけではなかったが、夜な夜なバイクを乗り回していた。

 そんな中でも「中学の目の前にあった商店のおばちゃん」は、たむろされても嫌な顔せず「身体や事故には気をつけるんだよ」と声をかけてくれたという。「そういう愛情深い人の存在で地域って成り立ってるんですよね。泉区らしいあたたかさのような気がします」

 19歳で暴走族は引退したが、まもなく体調の異変に襲われた。「不眠から始まって倦怠感や焦燥感が常にあった」。のちに難治性うつであると知るが、当時は知識も情報もなく、苦しみながら3年ほどを過ごした。

 少しずつ体力も戻り、症状も改善していくと「この経験で、苦しむ人の力になりたい」と思い至った。営業マンとして働きながら夜間は大学に通い、のちに精神保健福祉士の資格を取得した。

 東日本大震災の直後は福島に移住し、障害者就労支援施設で勤務。福島の縁で後継者不足と知った会津地方の「赤べこ」作りには施設でも取り組んでおり、和紙で張り子したべこを現地に送っている。

治らないものではない

 「精神疾患は誰でもなりうるもの。そして、決して治らないものではない」。精神疾患へ理解を求める米国発祥の「シルバーリボン運動」を大学時代に知り、現在はシルバーリボンジャパンの代表としても日本各地で啓発を続けている。

 かつてドン底を経験した自分が精力的に活動することが、今苦しむ人の希望になったら――。そんな思いも活動の原動力だ。「ゆめが丘もこれからまだまだ発展していく街。地域と共に成長していきたい」

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