金沢区の名所の視点…そうだったのか! 【5】六浦県の存在 そしてあの人が… 文・黒沢明(金沢区在住)
明治維新での新政府樹立により、廃藩置県が断行されました。区内には、横浜唯一の大名・米倉氏が管轄した六浦藩がありましたが、1871(明治4)年7月に「六浦県」になりました。その後六浦県は同年11月神奈川県に編入。わずか4か月の存在でした。
区内にはさらにもう一つ「県」が存在しました。現在の泥亀、町屋、洲崎、野島、柴は1868(明治元)年6月から9月まで、なんとあの有名な幕府代官・江川太郎左衛門(伊豆韮山)の支配下にあり、「韮山(にらやま)県」だったのです。
来年の日本での世界遺産候補として、明治日本の産業革命遺産が有力視されています。その候補の一つとして、伊豆・韮山の反射炉がありますが、江川はこれを造り、さらに日本で初めてパンを作りました。
江川さん、あなたがもしこの区内で反射炉を造ってくれていたら、金沢区はまたまた世界遺産候補の対象になっていたかも。そしてパンを作ってくれていたら、金沢区のパンは名物になっていたかもしれませんね。
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