4年に1度の聴覚障害者のスポーツの国際大会「デフリンピック」が5月1日からブラジルのカシアスドスルで開催された。この大会に金沢区町屋町在住の竹村徳比古選手(39)がデフビーチバレーボールで出場した。
4チームが総当たりする予選は、選手の発熱のため1試合を棄権。残り2試合も勝利はつかめなかったものの、ポイントの敗者復活で決勝にコマを進めた。しかし、日本選手団にコロナ陽性者が続出したため、日本は5月11日以降の全競技を出場辞退。竹村選手は「”たられば”含めて後悔が多かった」と不完全燃焼の大会を振り返る。
次回は2025年で東京開催となる可能性が高い。「まずは日本代表としての出場が目標。ベスト4以上を目指していく」と前を向く。
裸足でプレーが魅力
スポーツ全般が得意だった竹村選手が、ビーチバレーに出会ったのは2014年。川崎マリエンでデフビーチバレーの教室が行われた時だった。第一印象は「簡単そう」。しかし実際にコートに立つと、風で軌道の変わるボールや砂で踏ん張りのきかないコートに、思うようなプレーが出来なかった。それでも、シューズをはかずにプレーできるところに魅力を感じた。「バスケや野球は足がムレるから嫌だった」と笑う。
2015年、全国大会で3位に。「もっとうまくなりたい」と本格的に競技にのめり込んだ。コートのある海の公園まで自転車で7分の距離に引っ越して金沢区民なったのもこの頃だ。
言葉に頼らず連携
デフビーチバレーはコートや用具など健聴者の競技ルールとほぼ同じ。ただ試合中は、ペアとのコミュニケーションを極端に限定される。牛尾洋人監督(47)は、「できるとしたらアイコンタクト。でも時間的な余裕はない。いろんなパターンを想定した事前練習で、コンビネーションを高めている」と話す。
また、競技人口はろう者のバレー選手の中でも一握りで、選手は全国に散らばっている。竹村選手は練習相手を求め、競技を始めた当初から、海の公園などで健常者の選手に「一緒にやらせてほしい」と頼んできた。だがその反応は冷たかった。「何回も断られた」。それでも、隣のコートで一人練習する姿に、次第に一緒にプレーをしてくれるように。今ではすっかり顔なじみになった。「ポイントの数字を手話で伝えてくれるようになった。その気持ちが嬉しい」と笑顔を見せる。
国際大会でのメダル獲得は目標の一つだが、40歳を前にして考えるようになったのは、「次の世代の育成」。体験教室や大会で「少しずつ広げていきたい」
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