美空ひばりさんとの出会いなど、半生を描いた自伝を発刊した 鶴田 理一郎さん 中区本牧三之谷在住 76歳
生涯一職人を貫く
○…自身の半生や故・美空ひばりとの出会いや記念碑設立のエピソードなどをまとめた自叙伝『あゝ我が人生 七十年余の修羅よ そして今蛍』をこのほど発刊した。「自伝とはおこがましいが、ひばりさんやこれまで出会った方々への感謝を込め、後世に少しでも何かを伝えられたら」との想いを原稿用紙にぶつけた。
○…1937(昭和12)年千葉県佐倉市生まれ。小学2年のときに父を亡くし、長男として母と共に幼い兄弟を養ってきた。高校進学への推薦話も「食い扶持を減らさないと」と固辞し、中学卒業と同時に単身上京。同郷のつてを頼って飛び込んだ蕎麦屋での修行がきっかけで寿司の板前を目指すように。修業先に選んだのは、中区若葉町でひばりさんが経営していた「美之寿司」。「小さい頃から母がよくひばりさんの歌を唄ってくれていてね。憧れだったね」。25歳で独立して念願の店を持ったときも、「うちで修業したら将来は大きなお城のようなお店を持ってね」というひばりさんの言葉を守り、本牧の三溪園に続くさくら通り沿いに構えた「美奈登鮨」は城のような店構えにした。店名の一字「美」もひばりさんから頂いたものだ。
○…店は当時本牧元町に住んでいた文豪、山本周五郎のほか、多くの著名人にも贔屓にされた。「板前を目指す前は小説家になりたいと思ったこともあり、周五郎先生からは弟子のようにかわいがってもらいました」。そして、同じく本牧在住で「人生の師」と仰ぐのが横浜港運協会会長の藤木幸夫氏。「『人生は身のたけがいい』そして『義理・人情・恩返し』。その言葉が今も強烈に私の心に残っています」としみじみ語る。
○…今でも凛とした姿で寿司を握る。本牧への想いも強く、町内会長や民生委員を歴任。現在も横浜本牧観光協会の会長を務める。「残りの人生はめっけもん。自分を育てて下さった人々や地域に恩返ししたい」。エピローグはまだまだ先だ。
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