本牧 気まぐれ歴史散歩 【25】 諏訪神社と諏訪町護り継がれた伝統あるお社と町名
北方小学校を含む山手の丘にある諏訪町は諏訪神社がその町名の由来と言われても、武芸の神としての信仰も厚く、信州・諏訪大社を総本社とし全国に約2万5千社あるといわれる諏訪神社ですので、お社も町名も全国的に見てよくある組み合わせだと感じるかもしれません。諏訪町の諏訪神社は文治3(1187)年の創建とされ伝統あるお社です。
諏訪町という町名は明治6(1873)年に誕生しましたが、すごいのはここからです。
生麦事件をきっかけに慶応3(1867)年山手まで外国人居留地が拡張したことで、大正元(1912)年に現在地に至るまで諏訪神社は幾度か遷座したようですが、諏訪町の名前の由来からも、明治6年までには外国人居留地に囲まれた現在地付近で、諏訪町の方々に護られ、他社へ合祀されることもなく鎮座していたのではないかと思われます。また明治・大正期にかけては全国的に町名・字名の変更が重なり、戦後も住居表示の導入により名称や町域の変更が続きましたが、諏訪町は町域すらあまり変わっていません。開港場となり急速に都市化が進んだ横浜都心部ではとても珍しいことです。現在、諏訪神社は道路を背にして鎮座していますが、戦前には東の崖側に参道となる階段もあったようで、現在も地域の方々に大切に護られながら、諏訪町の地を見守るように鎮座しています。
次回は諏訪神社から坂をゆっくり下っていこうと思っています。(文・横浜市八聖殿館長 相澤竜次)
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