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公開日:2025.09.11

本牧 気まぐれ歴史散歩 93
本牧の戦争遺産(追記)

  • 本牧十二天にあった米軍住宅AREA1の水道タンク 石田榮一氏撮影 

 前回ご紹介した立野高校の地下にあった軍需工場のコラムで学徒勤労動員させられた学生を「立野高校」と記してしまいましたが正しくは「横浜第二高等女学校(現:立野高校)」です。訂正しお詫び申し上げます。

 ところで、その地下軍需工場があったことを知らなかったという声をたくさんいただきました。ここは地下なので見ることができませんが、本牧十二天緑地の崖には米軍接収地に上水道を供給する円形タンクの基礎や、米軍によって破壊されたかつての本牧神社の鳥居や石灯籠などが残されています。本牧に残された戦争遺産なのですが、立入禁止区域となっており、残念ながら現在のところ見ることができない状況です。

 本牧の街並みを見ても、横浜大空襲のときに焼けなかったところには細い道が残され、焼かれてしまったところは道路が拡張され、昭和57年(1982年)まで米軍が接収していた場所は区画整理がされ、今では美しい街並みになっています。本牧の街並みそのものが、戦争遺産と呼べるのかもしれません。

 第二次世界大戦で大きな被害を受けて、終戦後も長い期間米軍に接収された本牧だからこそ伝え継いでいける、戦争を知らない私も含めた戦後世代・子供達に戦争の悲惨さ、二度と繰り返してはいけない戦争の歴史を伝え継いでいくべきではないかと感じます。

 次回は産業道路を間門交差点の方へ歩いていきます。(文/横浜市八聖殿館長 相澤竜次)

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