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公開日:2025.10.02

本牧 気まぐれ歴史散歩 94
二つ岩 間門と根岸の境石

  • 本牧本郷村裁許図(部分)寛保3年(1743年) 個人所蔵

 添付した絵図だと縦に並んだ2つの小さい▽マークが見えにくいかもしれませんが、現在の間門交差点のY字路近くの海の中に2つ並んだ岩がありました。昭和38年(1963年)に埋め立てにより消失してしまいましたが、本牧では「二つ岩」と呼ばれていました。この岩は、間門村と根岸村の海の上の境界となっていました。本牧と根岸の漁業協同組合も、二つ岩を境界として海苔の養殖などを行っていました。

 本牧にもたくさんの昔話が残されていますが、悲しい物語が多いです。二つ岩の昔話も、夫が漁師であった新婚夫婦の妻が、海で遭難して亡くなった夫を海で待ち続けているうちに岩となってしまい、いつの間にか2人が寄り添うように並んでいる岩となったというものです。海辺に残る悲しい昔話は、本牧に限らず全国的にも多いようです。これは、漁師の生活は常に命がけで「板一枚の下は地獄」と言われた船の上で漁をする厳しい仕事だという教訓から生まれたのではないかとも考えられています。

 絵図は大岡越前守忠相が寺社奉行をし、忠相も裁許に加わった間門村と根岸村の村境を決める裁判の判決で示された絵図の一部です。境界線と決められた線上に合意したことを示す印が押されています。池袋にあった溜池も描かれています。

 次回はここからちょっと空を飛んで、海の沖合から本牧を眺めてみようと思います。(文/横浜市八聖殿館長 相澤竜次)

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