保土ケ谷区 コラム
公開日:2026.08.13
「保土ケ谷区史」と歩く歴史の散歩道 第9回 耕地整理事業と内陸部軽工業地帯 寄稿 金子宣治
この時代の〈わがまち保土ケ谷〉の特徴的な出来事の筆頭は、何と言っても耕地整理事業でしょう。これは、明治36年から昭和5年までの28年間、営々と続けられた事業で、整然としていなかった当時の農地を、分筆、合筆や交換などにより区画や形状を整え、あわせて通路、水路などを確保し、農業生産力を向上させることを目的とした事業です。
当時、神奈川県内では藤沢町大庭地区(現・藤沢市大庭)に一件先例がありましたが、現在の横浜市域では保土ケ谷が最初の、大変先進的、先駆的な事業でした。中心になって推進したのは、近代以降の保土ケ谷発展の基礎を作った岡野欣之助(岡野欣之助の祖父、父は岡野新田開拓者)たちでした。
これにより、保土ケ谷、帷子、神戸、峰岡などの土地が整理され、あわせて国道16号のもととなる用地も確保されました。
また、完成後の北側の地区には、明治41(1908)年に神奈川県立農事試験場が移転してきました。同試験場は、土地面積4万6000平方メートル、職員は10名で、当時の最先端の農業技術の指導を行っていました。なお、同試験場は、やがて現・鎌倉市に移転し、その跡地が峯小学校の用地となりました。
明治36(1903)年、まず帷子耕地整理組合が設立され、明治38(1905)年5月に完成しました。耕地整理事業の前途には、耕地整理完成後の初年の稲作の良否が関係あることから出来が心配されました。しかし、成績はまずまずと好評だったことから、明治42(1909)年に第2回の耕地整理が始められ、保土ケ谷町帷子第二耕地整理組合(保土ケ谷、神戸、岩間、帷子、下星川、仏向)がつくられ、明治43(1910)年9月、竣工しました。
これら整理された土地は、折からの富国強兵の工業化の流れの中で、比較的容易に大規模土地が買収できたことのほか、帷子川の舟運、鉄道による陸運など交通の便にも恵まれたこと、大都市横浜に近く労働力の確保が容易であったことなど、大規模工場を誘致する多くの利点がありました。加えて、富士瓦斯(ガス)紡績の峯水力発電所(酒匂川水系)からの電力供給があったことなどが誘因となって、程谷曹達(ソーダ)や日本硝子(ガラス)工業などの大規模工場進出の原動力となり、品川や川崎に先駆け、国内有数の内陸部軽工業地帯(表参照)に発展していきました。やがて、住宅地や商店街ができ、保土ケ谷の発展の礎となった事業でした。
ピックアップ
意見広告・議会報告
保土ケ谷区 コラムの新着記事
コラム
外部リンク
- LINE・メール版 タウンニュース読者限定
毎月計30名様に
Amazonギフトカード
プレゼント! -

あなたの街の話題のニュースや
お得な情報などを、LINEやメールで
無料でお届けします。
通知で見逃しも防げて便利です!












